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こういう店が来ませんかな? [雑記帳&食日記]

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フィリピン人は、本当にチキンが大好きですね。

それに伴い、各有名外食チェーン店も、チキンメニューを充実させています。

マックス、ジョリービー、チョーキン、マクド、イナサル、チックボーイ・・・


数えたら、キリがないですな。

その中でも、最近メキメキ店舗拡大しているチェーン店があります。

フィリピン国内では、今年に入り既に20店舗を超えた、『BONCHON』というお店ですね。

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ニュヨークのコレアンタウンが発祥だと聞きますが、韓国風味ということもあって相当辛いです。

別にスパイシーを頼まなければ良いのでしょうが、ついつい頼んでは後悔するのですわ。(苦笑)

まあ、いくら辛い物好きの私でも、この辛さは少し苦手ですね。


唐辛子味の『BONCHON』に比べ、胡椒味の『世界の山ちゃん』は程よい辛さですなあ・・・(笑顔)

それでも、結構舌にはぴりぴり来ますよ。

日本全国で74店舗あるようですが、皆さんのところにはどうでしょう?


しかしこの会社、冠に『世界の』をつけている割には、海外には1店舗も持っていませんな。(笑)

実はこの店には、先月の日本出張の折に、初めて行って食べたのです。

最初は違和感が有ったものの、次第に慣れてきて、それから貪り食べるようになりました。


兎に角、ビールが良くすすむのですわ。

しかも安い・・・

手羽先以外の、メニューも豊富です。

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思わず、帰比時に空港でお土産に買って帰りましたよ。

調理済みと冷凍物でしたが、写真の物は、冷凍物をついこの間自宅で調理したものです。

殆ど、お店の味に近かったですね。


池田公園辺りの店では、フィリピン人客も入ってましたから、比国でも受けないことは無いでしょう。

こうなったら、海外進出第一号店は、是非ここで展開して欲しいものですわ。

サンミゲールビール共々、切にお待ちしています!(爆)



今日は、『大虎』で手羽先食うのじゃー!(爆)
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泥酔女とスケベなおぢさん! [雑記帳]

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昨夜のおぢさんは、少し酔っていたようです。

仕事の打ち合わせが終わり、真っ直ぐ家に帰るつもりが、何と、バクラーランのネオン街を通ってしま

ったのでした。


そこであるローカルKTV店の、顔見知りである、引き込みおばばにとっ捕まります。

『あのなあ、べっぴんの新人さんが入っとるで、ちょっと顔見て行かんかい?』

おばばは、如何にも好色であるおぢさんの興味を引くように、そう云い放ちました。


『ほんまに若いぴちぴちの娘さんかい?嘘ちゃうんかいな?』

おぢさんは、まるで信じていないようにおばばにそう言い返します。

『旦那あ、嘘やおまへんがな、歳は十八子供も居らん、現役バリバリの女子大生でっせー』


現役バリバリの女子大生という言葉が決め手となり、おぢさんは店の中に入って行きました。

そこには、少し太目ですが確かに若い娘さんの姿が・・・

おぢさんは、にやりと笑い、その娘さんを伴って2階のボックス席に移動しました。


LD1本目・・・何気ない会話の開始。

挨拶を交わし、家や学校の話を聞き出します。

彼女の家はブラカンにあり、ケソン市の大学に通い、夜はバクラーランで夜の蝶・・・


(どんだけ離れとるねん?)

おぢさんは、(この娘さんは寝る時間があるのんけ?)、と思いながら、ビールを娘さんに勧めます。

本当かどうか、睡眠時間は移動中のバスの中だけだそうです。


LD2本目・・・そろそろ手が動き出す。

おぢさんは、娘さんの膝に手を置いてごそごそしますが、そこは固くて容易に割れません。

『側に沢山人が居るから恥ずかしい・・・』


そう言って恥ずかしがる娘さんに、胸に攻撃も掛けましたが、そこも拒否られ敢え無く撃沈です。

さて、ここでおぢさんの説教が始まりました。

『こういう仕事で成功しようと思うなら、少しは客を喜ばさなあかん、固いばかりではあかんでえ・・・』


LD3本目・・・われ説得に成功せり。

『ほんまにそうせなあかんのん?』

『そりゃあそうやがな、何も穴に手を突っ込もう言う訳けちゃうでえ、少しでええさかい触らすだけや!』


おぢさんは、相手の身体から緊張感が無くなったのを確認すると、一気に手の運動を早めました。

『所でなあ、あんさんビールは一体何本くらい飲めるんや?』

『ああ、それなら10本は飲めますよ。』


LD4本目・・・娘さんの態度が豹変。

おぢさんの手の動きに対し、身体の開く角度が大きくなりました。

既にパンツは丸出し、胸には自らおぢさんの手を持っていかせます。


そうする内に、娘さんの手が、おぢさんの股間をまさぐり始めました。

(こ、これは・・・)

おぢさんの心の中では、既に狂喜乱舞が始まっています。


LD5本目・・・ここからは後悔の連続。

喜んだのは束の間ですた。

少し酔っているのかなあという感じだったのが、かなり酔っているに変化しています。


おぢさんが誘ってもいないのに、VIPルームに行こうと言ったり、キスをしつこく迫ってきたりとか、何

やら手がつけられ無くなって来ました。

ここまで、しつこくなるとは大誤算です。


LD6本目・・・泥酔間近。

『大きなおっぱいでしょう』、と云いながら自分の両胸をさらけ出すなど、もう手が付けられません。

仕舞いには、自分で自分のLDを勝手に注文し始めました。


こうなると、完全に興醒めですな。

少々嫌がるのを、少しづつ触って楽しむのがおぢさんの趣味です。(笑)

その後、彼女がトイレに立った時、おぢさんは逃げるように帰ったとさ!(爆)



教訓 : 教育は程々に、ここは大胆に押しましょう!(爆)
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たった2万ペソで保釈になる睡眠薬強盗・・・(怒) [雑記帳]

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いやはや、全く酷い話です。

睡眠薬強盗の犯人は、たったの2万ペソがあれば保釈されるのだそうですよ。

一体、どういった基準で、裁判所は保釈を認めるのでしょうか?


容疑で言えば、強盗より刑罰の軽い、『薬物を使った窃盗』なのだそうです。

人の善意というか、フレンドリーさを求めて交流しようとした外国人を、睡眠薬で眠らせ金品を盗む・・・

被害者の心の傷も、さぞかし大きいことでしょう。


まあ、それだけならいいですね。

犯人ですが、その後の調査で、逮捕後に聴取した住まいには、既に住んでいないのだそうですよ。

これでは、『再犯の恐れあり』では済まされませんな。


虎を、野に放つ様なものです。

捕まっても、高々2万ペソで保釈されるなら、これはやり得ですわ。

手配写真の、顔を見て下さい。


皆、笑顔が素晴らしいではありませんか?

これなら、ころっと騙されるのは仕方がありませんね。

この睡眠薬強盗には、弊害もあります。


本当に交流を求めて近付いて来るフィリピン人も、疑われて、そういう色眼鏡で見られることですね。

これは、悲しいでしょう。

外国人に少し声を掛けただけで、『キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!』 と逃げられますよ。


この写真は、被害者のカメラに残されていたものだそうです。

飲食している時に撮影した物なのでしょうが、運良く盗られなかったのが幸いでしたね。

これがきっかけで、逮捕に至ったようです。


しかし、それでも2万ペソで保釈ですぞ!

先日も、バクラーランで声を掛けられ、マニラ市に連れて行かれて、睡眠薬強盗に遭った邦人女性

が居ました。


災難は、いつ降りかかるか判りません。

善意のフィリピン人には大変申し訳無いですが、声を掛けられても警戒するしかないようです。

こういう事件は、同国人であるフィリピン人も、又被害者と云えますね。


まにら新聞さん、勝手に写真をお借りました、ごめんなさいね・・・
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とうとう息切れです・・・ [雑記帳]

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ネタ切れではありません。(笑)

少々、仕事が忙しいだけですわ。

更新の内容も、これから当分、私の頭同様薄いものになるでしょう。(自虐)


元々、濃い内容など書いては居ませんが・・・

止まった時は、ごめんなさい!

これまでは、自ら強制して書いてきました。


ブログなのだから書ける時に書けば良いのだというのは、他の人ならいざ知らず私の場合無理です。

一度途切れたら、今までの私の放置ブログのように、止まってしまうかも知れません。(苦笑)

ということで、今朝は私の嫁の作品をお目にかけましょう。

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やはり、麦茶にはネギですよねえ~♪♪

流石に飲めませんでした。(瀧涙)

ということで、仕事に行ってきますね!


それでも押してやろうと思う人はオニガイね!(爆)
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フィリピンを掘り下げる その2 『強盗、泥棒編』  [検証]

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まあ、ここでは、強盗や泥棒の動機になる貧困については述べません。

あくまでも、物理的に検証したいと思います。

言わずもながですが、強盗や泥棒も命懸けでやってます。

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下手をして捕まったなら、ボコボコにされるくらいで済むでしょうが、一歩間違えば射殺されます。

僅かなお金だけを狙って命を奪われるなら、これは割に合いませんな。

お金を持っていそうな外国人を狙うのは、『人の利』として当たり前のことですね。


その外国人が抵抗しようとするなら、彼らは躊躇わずに銃で撃つでしょう。

捕まったら、地獄が待っていますから・・・

それだけのリスクを背負いながらも、強盗や泥棒は一向に減りません。


これは、検証する必要がありますね。

それでは、強盗や泥棒をする条件として、何が求められるのでしょうか?

先ずは、何を於いても逃げやすいという、『地の利』は大事ですな。


人が多い密集地は、意外と逃げ場が多いものです。

但し、素早く逃げないと、捕まった場合、住民から集団リンチを受けかねません。

バクラーランも有名な強盗泥棒の多発地帯ですが、目の前でボコボコにされる犯人は沢山見ました。


あと、間抜けなポリスがそこには多いということも、『天の利』として好条件ですね。

親友のポリスのダンが嘆いていましたが、彼の目から見てもここのポリスは怠け者の集団だそうです。

そういう彼も、積極的に出勤をさぼっているのを何度も見ましたが・・・(苦笑)


さ~て、これで『天の利』 『地の利』 『人の利』が揃いました。(笑)

バクラーランは、強盗や泥棒から見れば、天国のように豊かな市場です。

私も既に、ここでは3回泥棒に入られ、3回もスリにやられました。


まるで、彼らから見れば、常連のお得意様ですな。(溜息)

殆どが、移住後初期での事件とは言え、よくもまあ彼らに貢献しましたわ。

皆様も、バクラーランにお越しの際は、小銭だけを持ち、出来るだけ汚い格好で来ましょうね!(爆)


さあ、今日も張り切ってここを押しましょう!(爆)
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フィリピンを掘り下げる その1 『火災編』 [検証]

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この国の火災原因は、主になんでしょうか?

よく聞くのが、まあ漏電ですね。

これは、配線等に問題があることになります。

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家の外までは、電力会社がやりますな。

但し、家の中は誰が工事をするかはある意味自由です。

まあ、大工のおっちゃんが、家を建てる片手間にやっているのもよく見掛けますわ。


若しくは、町の電気屋さんでしょう。

ド素人に毛が生えたような俄電気技師は、この国には沢山存在します。

こういう人達が工事するのですから、漏電が起こるのも無理は無いですね。

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さて、この辺の事情に非常に詳しい、M氏という方に詳しく話を聞きました。

M氏は、以前某大手家電メーカーの品質管理を長年されていて、電気のエンジニアでもあります。

では、何故に漏電事故が多いのか?


1.配線を専門技師が行わない。(先述の通り)

2.配線同士の圧着を行わない。(銅線と銅線を結んでテープでくるんで終わり)

3.その銅線その物がお粗末。(不良品ではないが、低品質で寿命が短い)


4.ネズミが多い。(低品質の銅線は直ぐに温まるし、彼らはそういう温かい絶縁物を好む)

5.ブラウン管TVが多い。(電圧の高いブラウン管TVのプリント基板等に埃が溜まっていた場合、突然

のスコールなどでそこに湿気が襲ってきて、トラッキング現象を引き起こす。)

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以上ですが、これらは気候や風土による原因と、法整備がなされて無いからだとM氏は言います。

不良品ではありませんが、低品質の品物ばかりを売り捌くビノンドの商人たち・・・

そのお粗末な商品をお粗末な技術で扱う、これ又素人の電気技師や盗電専門家・・・


まあ、こうなると漏電など、起こるべきして起こる現象ですな。

さて、火災の代表的な原因には、あと放火もあるでしょう。

有名な話では、不法居住民地域の強制排除ですね。

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土地の持ち主などが、人を雇って放火させます。

この場合、消防署にも予め付け届けがなされていて、焼け頃合いを見計らって消火に当たるのだと

聞いたことがありますが、真意の程は分かりません。


本当なら、恐ろしい話です。

先日のバクラーランの商業施設の火事では、保険金目当てと新規ビル建設のために、施設の持ち

主が子供の火遊びを装って放火させたと、近所では噂されました。


こうなると、住むところも、そういうことを考慮に入れて住まなければなりませんわ。

古い商業施設や不法居住民地域が近い場所は、極力避けねばなりませんな。

・・・て、バクラーランはそのど真ん中ですけどね!(瀧涙)


月曜日ですぞ、出勤前には必ずここを押してから出掛けましょう!(爆)
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フィリピン移住を考える・・・その27 『フィリピンで家族を持つ 後編』 [移住]

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やはり、こういう番組は良いですなあ・・・(ほのぼの)

実はこの番組の放映時、私達夫婦は毎朝これを見るのが日課でした。

敢えて、自分勝手なことを申します。


自分の家庭が幸せであるかないかの評価は、その人の捉え方や観点にもよって様々でしょう。

ちなみに我が家では、私が亭主関白を通すことに依って、幸せが保たれています。

勿論、仕向けたのは私ですが、それを助けてくれたのがNHKですね。(笑)


古い時代が設定のドラマでは、妻が夫を支える、内助の功が良く描かれています。

これが、私にとっては好都合なのですわ。

嫁は、日本語は解しませんが、ドラマのストーリーは何となく分かるようです。


まあ、感はいいようですね。

説明させると、9割方理解しているように見受けられます。

この、『ゲゲゲの女房』もそうでした。


夫である、漫画家水木しげるを貧乏時代から支え、家計をやりくりしながらその仕事を影で支えていく。

まあ、この手のドラマはこちらには中々見当たりませんね。

金の切れ目が縁の切れ目になった日比夫婦を、これまでに嫌になるくらい見てきました。

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逞しくありながら、献身的精神の女性・・・

夢のような理想ですが、これらは探すのではなく、こうなったらもう作るべきですな。

こちらの女性は、元々逞しいではありませんか!


しかし、フレンドリーではありますが、献身的とまでは言わないでしょう。

ここまで来たら、改良点は僅かですぞ!

ここからは、最初が肝心です。


最初の対応を誤ると、軌道修正は難しいでしょうね。

夫婦円満の道は、自分が耐えて耐えて耐えぬくか、亭主関白をずっと貫けるかです。

さあ皆さん、夫婦で見るテレビ番組は、とことん選んでから見ることにしましょうね!(爆)


ひじを左わきの下からはなさぬ心がまえで、やや内角をねらい、えぐりこむように押すべし!(爆)
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フィリピン移住を考える・・・その26 『フィリピンで家族を持つ 前編』 [移住]

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何だか、昨日迄の記事の延長のようですな。(苦笑)

今の嫁とは、この国で知り合いこの国で結婚しました。

娘は、この国で生まれています。


写真ですが、このあいだの年末年始に、嫁と子供が初めて日本を訪問した時のものです。

何と、一緒になって12年目の快挙でしたね。

タイには一度、家族で旅行に行ったことはありますが・・・


まあ、旅行の話は置いといて、同じ日比家族でも日本で知り合い日本で暮らす場合と、比国で知り合

い比国で暮らすのとは、その生活が大きく変わってきます。

さて、実際にどう違うのでしょうか?


先ず、日本で暮らす場合ですが、配偶者は、日本の法律や習慣に従う必要がありますね。

日本人の夫又は妻は、それらのサポートをしなければなりません。

少し面倒くさいので、大半のケースである、日本人が夫でフィリピン人が妻の場合のみ述べましょう。


いい忘れていましたが、日本で知り合い日本で暮らしていたが、家族でフィリピンに移住したい・・・

こういう方達を対象にして、この『フィリピン移住を考える・・・』を書いてきました。

この場合、日本人である夫は、フィリピンの習慣や法律に従う、若しくは戦わなければなりません。


もう、これらは散々書いてきたから、今日は書かなくて良いでしょう。

今日のテーマは、フィリピンで知り合いフィリピンで暮らす場合のみ、取り上げることにしますね。

同じ在比の仲間でも、独身でこちらに移住して来て、働きながら暮らしてる人も沢山居ます。


勿論、独身ですから、いずれはここで結婚して、家族を持ちたいと考えるのは当然ですね。

まあ、その前に恋愛をしなければなりませんが・・・

恋愛を何処でするのかは別として、私の嫁のように、日本未経験の田舎の娘を貰うと話は違います。


これは、はっきり言って凄く楽ですな。

ある人の紹介で結婚しましたが、彼女は日本語を全く解しませんし、日本の習慣も知りません。

こちらが、100%主導で教えることが出来ます。


前妻の悪口を言うわけではありませんが、日本で長く生活していると、その生活に慣れてしまったの

か、こちらの生活を侮蔑的にみるようになりました。

フィリピンに生まれながら、フィリピンを悪しざまに言うのですな。


日本で暮らしてるというだけで優越感を持つのでしょうか、帰省の折には、まるで女王様のように振る

舞うのには辟易(へきえき)しました。

別に、今の嫁が謙虚で、他人に思いやりがあるわけではありません。


彼女とて、日本で長く暮らすとなると、そうなる可能性は多分にありますね。

私が言いたいのは、住む環境に依って、人は変ってしまいやすいということです。

多分これは、民族を超えて共通なのかも知れませんね。


が、しかし、ピーナの豹変ぶりには、時々驚かされることが多いですわ。

具体例は、敢えてここでは述べません。

恐らく、思い当たる人は多いと思います。(笑)


兎に角、こちらで嫁を貰いこちらで暮らすならば、コントロールしやすい人を探しましょう。

くれぐれも、社交性のある女性は駄目ですぞ。

お金があると全部使ってしまうのは、大半のピーナに共通していますからねえ・・・(爆)


後半に続く・・・


ピーナを口説くには、全力で、押して押して押しまくることですぞ!(爆)
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フィリピン移住を考える・・・その25 『私の回顧録(あとがき2)』 [移住]

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私は、アリエールという名前の、フィリピン人のことを思い出していました。

アリエールとは、彼が日本に仕事の研修に来ていた時に知り合ったのですが、フィリピンに帰国して

からも、何度か日本から連絡を取り合っていたのです。


超理論肌の男ですが、他人には優しい性格でした。

研修時に少し面倒を見たことがあっただけなのですが、恩にでも着て呉れていたのか、妻の帰省時に

同行した時などは、積極的にマニラの名所などの案内役を買って出てくれた程です。


そういう彼の存在を、何故か私はすっかり忘れていました。

彼の家にも、何度か訪れたことがあったにも拘らずにです。

いわば、家族ぐるみの付き合いだったに、私は失念していたのでした。


彼は、私からの連絡を受け取ると、直ぐに会おうと言ってくれましたが、その口調は、何故か慌ただしい

ものを感じました。

実を言うと、彼は別居中の妻から既に連絡を受けていたのです。


妻にしてみれば、もう数ヶ月も音沙汰が無いので、当然といえば当然ですね。

彼は私に会うと、開口一番、直ぐに妻の実家に顔を出せと怖い顔で言います。

あっ、ちなみに彼は日本語が少し出来ました。


研修中に覚えたのですが、私はその時の先生の一人だったということにもなるでしょう。

それはともあれ、私はそれをかたくなに拒否しました。

『マテガスウロ』、と彼に言われましたが、こんな状態になって、妻に笑われたくはありませんでした。


仕方がないなと、彼は思ったのでしょう。

数日、彼の家に逗留させて貰った後、小さなアパートまで探してくれました。

職も、アリエールが会社の日本人に相談してくれましたが、言葉の問題で無理だったようです。


しかし、こんな生活もいつまでも続けては行かれません。

アリエールの負担も、次第に大きくなっていきますし、相当な迷惑だったことでしょう。

暫くして、妻の弟が私を迎えに来ました。


アリエールも、妻にずっと嘘は突き通せなかったようです。

結局私は、妻の実家に引き取られることになりました。

その後妻が帰省して来て、話し合いの結果、親子3人でフィリピンで暮らそうということになります。


ですが、この生活も長くは続きません。

就職口は見つかったものの、人には言えないくらいの安月給でした。

日本の暮らしに慣れていた妻は、そういう生活が耐え切れなかったようです。


やはり、元妻とは相性が悪かったようで、彼女は子どもと一緒に日本で暮らすと言い始めました。

『日本に帰るのだったら離婚だぞ』、と言っても聞く耳も持ちません。

来た早々大失態をやらかした癖に、日本には帰りたくないと言う私に、もう愛想を尽かしたのでしょう。


『勝手に、此処で暮らしなさいよ!』

そう言って、妻は子供を連れて日本へ帰ってしまいましたね。

日本に帰って行った早々離婚届が届いたので、私は、さっさとサインして送り返しました。


養育権を獲得した元妻は、今でも日本で元気に暮らしています。

子供も大きくなり、就職もしました。

私のみが、この国で生きるという選択肢を選んだ訳です。


さて、それからの私は、バクラーランに一人で住み着きました。

例の4天王と知りあったのも、この前後ですね。

バクラーランに住み始めて1年が過ぎた頃、ポリスのダンとパサイのKTVに行った時のことです。


居ましたよ・・・そこにトニーが・・・

しかも、日本人観光客とおぼしき数人と一緒です。

トニーは、ステージで日本語の歌を歌っていました。


日本人は、わんやわんやと拍手喝采しています。

恐らく、トニーがガイドをしている、日本人ツーリス達なのかも知れません。

私はダンに、トニーが居ることを告げました。


私は、以前からトニー達の話をダンにしていましたから、彼の反応は素早かったですね。

ポリスであるダンは、護身用の小型の拳銃を、いつもポケットにしのばさせていました。

しかし、店の中では幾ら何でも拳銃はまずいです。


ダンは、店のマネージャーを呼び出しました。

客を一人外に連れ出したいのだが、もしかしたら、少々手荒なことになるかもしれないと断ります。

ボックス席で影になっていたので、トニーは、まだ私達には気が付かないと思っていました。


しかし、彼が歌を歌い終わった時のことです。

彼は真っ直ぐに自分たちの席に戻らず、私たちの席にやって来るではありませんか?

私は、これには驚きました。


『ああ、◯◯さん元気ですか?お久しぶりですねえ・・・』

覚えてないのかと思いきや、私の名前まではっきりと言うではありませんか!

私は、少し興奮気味になって、兎に角そこに座れと彼に云いました。


トニーは、何故私が興奮して厳しい表情になっているのが全く分かっていないようで、兎に角、不思議

そうな顔をしています。

しかし、ダンがポケットから拳銃を出してちらつかせると、トニーは急に怯えたような顔になりました。


様子を察したのか、トニーの方から外に出たいといい出します。

このまま行けば、連れている日本人に正体がバレると思ったのかも知れません。

我々は、マネージャーに断って、トニーを連れて外に出ました。


で、隣のローカルKTV店に行き、そこでトニーに詰問を浴びせることにしたのです。

流石に、ダンは現職のポリスでしたわ。

脅したり宥めたりして、トニーから色々なことを聞き出しました。


さて、ここで判明したことを羅列してみましょう。

先ず、ホテルでの10万円の盗難はボーイの単独犯行で、トニーは知らなかったと言い張ります。

Kのボーイへ指示は、銀行での犯行のみだったそうです。


トニーは、それは後からボーイに聞いただと言いますが、恐らく嘘でしょうね。

しかし、ボーイがミンダナオに逃げたと嘘をついたことは認めさせました。

トニーは、主に日本人客を捕まえてくるのだけが仕事だったようです。


Kの指示で動く、いわゆる実行犯は、実はボーイだったと供述しました。

トニーは、ボーイのボクシングの腕が怖くて、いつも従うだけだったとも言います。

驚いたことに、カビテの家での盗難も、ボーイの犯行だと云いましたね。


トニーは、私が事件後に3人が一緒に居るところを見たとことに、まだ気がついていません。

私のことを、本気で心配したから、カビテの友人の家を紹介したのだと言い張ります。

私は、トニーにそのことを告げました。


流石に、これにはぐうの音も出ないトニーです。

それからは、割と素直に泥を吐きました。

ボーイはトニーから、私がカビテの家にいることを聞き出していたのです。


そこで、私が居ない時を見計らって、合鍵を持って犯行を犯したに相違ありません。

そうなると、合鍵を渡したのはトニーだと言うことになりますね。

『お前も共犯だぞ!』


ダンの口調が、つい厳しくなって来ました。

震え上がるトニーに、Kとボーイの消息を聞き出します。

ボーイは、その後別件で警察に捕まり、留置場に送られたといいます。


ポリスであるダンに、管轄署で調べてくれれば分かるとまで云いましたから、本当だったのでしょう。

Kですが、これも別件で日本の警察から追われており、こちらの入管に拘束された後に、日本に強制

送還されたのだと云いました。


それが事実なら、別の日本人を鉱山の件で騙し、立件されたのかも知れませんね。

ともあれ、聞きたいことは全て聞き出しました。

で、ダンが私に、わざとトニーにも聞こえるような声で耳打ちします。


『こいつどうする?、何なら殺して海に放り込もうか?』

それを聞いたトニーは、すっかりと怯えました。

タガログ語で、一生懸命ダンに命乞いをします。


私は、彼を許すことにしました。

何故ならば、彼の家族の顔を思い出したからです。

彼の娘の誕生日パーティに呼ばれた時の、彼の家族の笑顔が忘れられませんでした。


『もう、許してやろうよ・・・』

私がそう言うと、ダンは渋々トニーを開放しました。

『今度、悪事を働いたら、今度こそお前を殺すからな!』


ダンは、トニーにそう釘を差すのを忘れませんでした。

『もう、日本人を騙すなよ。』

私もそう言ってやりましたが、彼は根が小心者ですから、指導者が居ないと悪事も働けないでしょう。


ああ、やっとこれで、この長かったあとがきも終われますわ。

罰せられる人間も、皆それぞれの持ち場に帰って行ったようです。(笑)

たとえ髪は無くても、神はちゃんと存在するものなのですな!(爆)


神を信じる者は、ここを押しましょうね!(爆)
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フィリピン移住を考える・・・その24 『私の回顧録(あとがき1)』 [移住]

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さて、それからの私は困窮しました。

賢明な皆様には、もう想像がつくでしょう。

そうは簡単に、問屋は卸しませんよねえ・・・


現実は、決して甘くはありませんでした。

職探しなど、一朝一夕に出来るものではありません。

なすすべもなく、悲嘆にくれる毎日が続きます。


なのに、手持ちのお金はどんどん無くなっていきました。

もう、どん底の生活を余儀なくされた格好です。

延命の為に、1週間の予算が米を除いて20~50ペソ(現在の価値で2~3倍)です。


手持ちのお金が3千ペソを切った時点で、そういう生活を自分で強制しました。

(もう、そろそろ限界だな・・・)

そうする内に、私は次第に死を覚悟していくようになりました。


迷惑を掛けまいと、多少の残金がある内に今の住居を引き払おうと思い、大家さんにそう告げます。

大家さんが何処に行くのかと聞くので、仕方なく日本に帰ると嘘をつきました。

そしたら、私が持っていたソニー製のビデオカメラを、売ってくれないかと大家さんが言います。


そのビデオカメラは、私が日本から持ってきた、唯一の高額な持ち物でした。

正直、この申し出には感謝しましたね。

これで、少しは体裁を保ったまま死ねると考えたのです。


20万円近くしたビデオカメラでしたが、大家さんには1万ペソで買って貰いました。

当時のお金で、大体4万円くらいですね。

こういう商品はここでは高いらしく、安く買えたと大家さんは大喜びしてくれます。


もっと高くても買って貰えたのでしょうが、死ぬ覚悟が鈍ると思い、それは言い出しませんでした。

私には、この頃にはもう、死神が取り憑いていたのでしょう。

下手をすれば、1日中死ぬことばかりを考えていたような気がします。


さて、こうなると後は死に場所選びです。

私は、どうせ死ぬのなら、海の見える場所で死にたいと思っていました。

頼りだった、たった1冊のガイドブックには、プエルトガレラが風光明媚だと書いてあります。


アパートにさよならを告げ、私は一路プエルトガレラを目指しました。

パサイからバスに乗り、バタンガス港迄行き、そこからバンカーに乗り込みます。

目的地は、サバンビーチという場所を選びました。


その頃のプエルトガレラは、まだ鄙びたものでしたわ。

今のように、観光客が沢山居ない時代のことです。

但し、サバンビーチは別でしたね。


白人を中心に、歓楽街はそこそこ賑わっていました。

賑わいも、死出の旅には餞(はなむけ)になろうと、そこに宿を取ることにしたのです。

宿は、当時1泊350ペソでしたが、それでも私には高く感じました。


しかし、そんなことはもうどうでも良いのです。

私は、自らの命を絶ちに来たのですから・・・

但し、無一文で死ぬのは嫌でした。


金が無いから死んだと思われるのだけは、我慢が出来なかったのです。

ポケットには、宿代を払っても、まだ数千ペソが残っていました。

私は、最後の晩餐を食べるべく宿を出ます。


(間もなく、私は死ぬのだ・・・)

味気のない食事を摂りながら、最後の覚悟を私は決めました。

一旦宿へ帰り、夜が更けるのを待ちます。


時計の針は、既に夜中の1時を回っていました。

私は、それまでの間、安酒を煽り続けていましたね。

やはり、しらふで死ぬのは怖かったのでしょう。


酒の力を借りて、自分を死に追いやろうとしていたのです。

この時間だと、歓楽街にもあまり人が居ません。

そこを通りぬけ、市場のある道に出ました。


そこを、山の方に上がっていった所に、林が有るのを昼間に確認済みです。

私は、カビテの金物屋で買ったロープを手に持っていました。

それを、比較的太い幹の木の枝にくくりつけないといけません。


私は、隣の細い木によじ登ります。

そして、太い枝にロープを掛けました。

私は、さぞ恐ろしい顔をしながら、その作業をしていたのでしょうね。


今でも、その光景を夢に見ることがあります。

私は、ロープを掴むと、それを自分の首に回しました。

後は、飛び降りるだけで、何もかもが終わります。


(今死なないと、もっと惨めな死に方をしなくてはならないのだ・・・)

私が、最後の決心を持って、いざ飛び降りようとしたその時です。

数人の男女が、私の方に駆け寄って来ました。


現地の住民でしょうが、私に向かって降りろ降りろと云います。

私が何をしようとしたか、分かったのでしょう。

その中の一人が、木に登って来ようとしました。


こうなると、もう死ぬことは出来ません。

私は、慌てて木から降りると、そこに居た人々を突き飛ばすようににして、宿へ走り帰りました。

彼らは、私が逃げ出すとは思っていなかったのか、追いかけては来ませんでした。



人間、一度死に損ねると、2度と死ねなくなるというのは本当ですね。

私にしがみついていた死神は、離れていったようです。

私は、ある目的を持って、マニラに戻ることにしました。


お詫び: あとがきは、端折って終わる予定でしたが、ついつい筆が進んでしまいました。(汗) 
  
明日も、やけくそで続けさせて頂きます。

決して、引き伸ばし作戦ではありませんぞ!(涙)


この話は、記事にしたくなかったのよねえ・・・だからやけくそで押してちょ!(爆)
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