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モツ鍋屋のおやじがいくフィリピン紀行 11  [小説]

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定次がモツ鍋を作ってくれるというので、シスターは素直に喜んだ。
彼女はカトリックだが、元々この宗旨には、生臭は駄目だとか言う食べ物への戒律はない。
あるとすれば、1年に1度、聖週間中の受難日である、金曜日の肉食禁止位のものであろうか?
まあ他の日は、肉であろうが魚であろうが、何を食べようとお構い無しである。
定次は、シスターの嬉しそうな顔を見て、明日は張り切ってモツ鍋を作ろうと心に誓った。

昨日に引き続き、教会のゲストルームに寝かせて貰った定次だが、何故か中々寝付けそうにない。
思えば、初めてフィリピンの地を踏んで、僅か2日目の夜なのだ。
しかし、そのたったの2日間で、彼は色々な経験をしてしまった。
が、シスターに出会ったことで、定次自身、これからの人生が変わるような予感がしている。
それどころか、定次はいつしか、その出会いを、自分の運命とまで考えるようになってきていた。

ニダの時でもそうだが、元々思い込みの激しい男なのだ。
思い込みが激し過ぎて、カレンの生足を触ってしまって大騒動になったことなど、今ではすっかりと、
定次の記憶には無いようである。
フィリピンに嵌りやすい、典型的な楽天家おやぢだ。
明日が帰国日だったなどということは、頭の隅にも置いてなかった定次である。

翌朝になった。
定次はこの日、シスター山野の案内で、シティマーケットに行く事になっている。
寝不足など何のその、朝早くから起きていた彼は、今か今かと出発を待ち構えていた。
シスター山野の教会は、所謂バギオ大聖堂とは違い、バギオ市の中心部からは大分離れている。
従って、買い出しに行くときは、いつも乗り物を調達しなければならなかった。

子供達などの食事を作るのは、賄いのおばさんの役目だが、買い出しは主にシスターが行っている。
教会から市場までは、車で30分以上掛かると見ていい。
教会専用の車などはないので、買い物は3日に1度、好意で車を出してくれる人に甘える格好である。
車を出してくれる人も、いつも不定期らしく、今日は、同じバギオ在住で、内山さんと言う女性が運転し
てくれることになった。

内山さんは、既に初老の女性であるが、根っからの日本人ではなかった。
彼女は、日系3世なのである。
戦前から、バギオには、日本人入植者が多かった。
アメリカ人の指導の元、バギオが開発されることになった時、多くの日本人がその事業に加わったが、
彼女は、その日本人の子孫に当たる。

子孫と言うと少し大袈裟だが、彼女の祖父は、下界とバギオを結ぶベンゲッド道路作りに従事した。
まことにバギオと言う所は、高原というに相応しい場所である。
麓には沢山ある椰子の実も、この高原に進むに従って、その姿を見ることは出来ない。
つまり、それだけの高地にあるということだ。
それ程の高地に道路を建設しようとしたのだから、これは難工事であったろう。

勤勉な日本人は、その腕と技術を買われ、道路作りを委託されたものの、環境は劣悪であった。
1903年に完成したものの、その建設のために命を落とした労働者は、相当数に登ると言われる。
又、都市作りに参加した日本人も多く居り、大工や左官で貢献したが、戦前あれほど多くの日本人
で賑わっていたバギオも、戦争が始まった途端、段々と悲惨な結末を迎えることになった。
進行してきた日本軍の残虐行為が、彼らを窮地に追い込んだのだ。

特に、現地の村々を焼き払ったことへの怨念は凄まじく、彼ら入植者は、同じ日本人ということで迫害
を受け、次第に、山の奥へ奥へと逃げざるを得なくなってしまった。
そこで、飲まず食わずの悲惨な生活を強いられることになるのだが、1972年にシスター海野(うんの)
が決死の覚悟で彼らを救出するまで、そういう生活は続いたのである。
と言うことは、内山さんの少女時代までは、そういう生活であったということだ。

まるで、昔の日本で言う、『平家の隠れ里』のようなものであろうか?
彼らも、源氏の追求を逃れるために、人の住めない所に里を開いて、移り住んだという。
余談はさて置き、内山さんの祖父や父親も、現地の比国人女性を娶っていた。
しかし、そういう事情で育ったのだから、彼女自体、苗字は日本人でも国籍はフィリピンである。
近年になって、NPOの力でようやく就籍活動が行われるようになったが、それは少し後のことだ。

内山さんは、少したどたどしいが、日本語を使う。
勿論、現地語も喋るのだが、家では絶対に日本語なのだそうである。
死んだ祖父がそうしろと命じたらしく、母親であるフィリピン人も例外ではなかったという。
定次とシスター山野、そして内山さんの3人は、市場に向かって車を走らせた。
この市場だが、既に1世紀くらいの歴史を持っており、その佇まいは、下界とは一線を画している。

もう少し詳しく書けば良いのだが、本文と掛け離れてしまうのでここでは割愛するが、バギオを訪れる
人は、必ずここを訪れるといって良いほどの、名所にもなっていた。
しかし、定次には少し心配事があった。
ここでもそうなのだが、フィリピンには、そもそも牛もつは売ってないというシスターの話である。
本当なら、どうすれば良いのだろうか・・・?


続く・・・


どうすれば良いのか、迷った時はここを押しましょう!(爆)
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モツ鍋屋のおやじがいくフィリピン紀行 10 [小説]

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『キャ~・・・・・・・』
少女の悲鳴は、その孤児院はおろか、隣接している教会の中まで響き渡っていた。
その悲鳴を聞いて、教会の中から、真っ先に飛び出して来たのは、他ならぬシスター山野だ。
サリーの周りには、既に他の孤児達が集まって来て、心配そうに彼女を取り囲んでいる。
シスターは、そこで、膝を抱えてうずくまっているサリーと、呆然とそれを見ている定次を見つけた。

『一体、何があったのです?』
シスターは定次にそう問いただしたが、、その言葉は、厳しい詰問口調であった。
『そ、それが・・・』
定次は、事情を説明しようとしたが、まだ動揺している為か、全然言葉にはならない。
シスターは、仕方なく、サリーの回りにいる子供たちに聞いてみた。

その事情だが、子供たちに代わって、著者が説明しよう。
サリーを笑わそうと彼女に近づいた定次だが、声を掛けようとしただけで、悲鳴を上げられてしまった。
理由など何もない。
たった、それだけのことだった。
しかし、これはシスターの方に非がありそうである。

実は、サリーは所謂男性恐怖症で、相当長く知り合わない限り、近づくだけで拒否反応を示すのだ。
先程は、シスターが定次の側に居たし、遠目だったからまだ良かったであろうが、今度は、定次一人
が彼女に近づいたのだから、これは拒否されても当然と言えよう。
だから、大体こういうことは、予め定次には伝えておくべきであろう。
それを怠っていたのだから、責任の大半は、シスターにあるかも知れない。

事情を知ったシスターは、その場で定次に詫びを入れた。
彼女は、嘘をついたり誤魔化したりして、その場を取り繕うことが、何よりも嫌いな人物であったのだ。
子供達にも、普段からそう接してきたし、教えもしてきた。
清廉潔白とは、まるで彼女のためにあるような言葉であったのだ。
定次は、謝罪されたことで、却ってシスターへの憧憬の念を強くしてしまった。

(何ちゅう、潔(いさぎよ)かおなごたいね~)
全く、九州男児も惚れ惚れするような女性である。
シスターがサリーを介抱している間、定次は少し離れた所で、二人を見守りながらそう思っていた。
(こげん所で、生活できたらなあ・・・)
それからの定次は、そればかりを考えるようになっていくのに、そうは時間が掛らなかったのである。

夕食の時間がやってきた。
孤児院の収容者はたった15名程度であったが、食堂は広く、30人くらいは一度に食事が出来そうだ。
一同に食事が配られたが、定次はその内容に驚いた。
何と、おかずは一品のみで、しかも少量である。
ご飯だけは豊富にあるようだが、これでは、子供たちの栄養に足りないであろう。

スープくらい有っても良かろうものだが、それすらないのだ。
定次は、思い切ってシスター山野に聞いてみた。
『シスター、聞くのも失礼ですがばってん、あなた達はいつもこげな食事しか取らんとですか?』
『はい、このフィリピンの普通の家庭では、こういった食事が一般的ですわ。』
『で、でも、少し栄養が不足しているような気もしますが・・・』

定次は、一生懸命標準語で喋ろうと、努力しながらそう言った。
『そうなんです、私もそう思っているのですが、何分にもここの予算が少な過ぎて・・・』
日本と違い、この国の孤児院などは、政府からの支援があまり期待できない。
従って、運営体はNGOであり、経営も、主に海外からの寄付によって賄われていたのである。
定次は、それを聞いて憤慨した。

幾らボランティアの施設だからといっても、この状態で良いわけではなかろう。
育ち盛りの子供たちには、もっと栄養のあるものを食べさせるべきである。
『シスター、お願いがあります。』
定次が、食事の途中で立ち上がりながら、そう言った。
『明日の夜、子供達にモツ鍋ば食べさせてやりたいのですが・・・』


続く・・・


食べる前には、ここを押しましょうね!(爆)
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『小虎』がゆく・・・ [食日記]

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この、『鮨処 小虎』も、オープンして3ヶ月近く経とうとしています。

場所は、マラテのジョージボコボ、旧大虎があった場所ですな。

http://kotoramalate.web.fc2.com/index.html

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詳しくは、上記の『小虎』ホームページにある、アクセスをご参照下さいね。

ホームページには酒処とありますが、正体は全くの鮨屋ですな。(笑)

従って、メニューも鮨が中心となります。

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カウンターには、勿論一品料理もありますよ。

酒のツマミには欠かせません。

この日は、田螺(たにし)の煮付けに、茄子の煮浸しでした。

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マスターは、名古屋の名店で修行していたらしく、その彼が握る鮨は超本物です。

この鮨ですが、6貫でたったの300ペソですよ!

驚くべき、コストパファーマンスですな。

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下の写真は、是非拡大して見て下さいね!

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魚の切り口も、ちゃんと立ってますな~♪♪

この店で使っている酢や醤油も、ちゃんと自分で仕込んだものを使っているそうです。

修行していた店の味に、自分のオリジナルを加えた味だと、マスターが説明してくれました。

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食材ですが、マスター自らの目利きで、朝市場に行って仕入れます。

このタコも、美味しそうに煮上がっていますなあ・・・(ホクホク)

下の海老なんか、相当なでかさですぜ。(驚)

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日本人が仕入れ、日本人が握る鮨・・・

これに勝る、鮨屋はありません。

下は、店内の様子です。

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狭くて沢山のお客は入れませんが、心のこもった鮨を堪能できるでしょう。

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マスターも、自慢の包丁を毎日研いで、お客さんを迎えています。(笑)

さあ、お得感満載のこの『小虎』・・・

兄弟店、『大虎』共々、皆様応援してあげて下さいね!


おっと、こちらの応援も忘れないで・・・(爆)
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モツ鍋屋のおやじがゆくフィリピン紀行 9 [小説]

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シスター山野 清美は、当年とって36歳になる。
まったく、女盛りの年齢と言ってよい。
が、彼女には、陰惨な過去があった。
修道女の道を選んで早や8年になるが、その前は、幸せな普通の結婚生活を送っていたのだ。
それが、どうして入信して修道女になったのか・・・?

彼女は、24歳の時に、日本でフィリピン人の船員と出会い、激しい恋に落ちてしまった。
そして、何度も日比を行き来した上、親の反対を押し切ってまで結婚したのだ。
その後は、フィリピンで幸せな生活を送っていたのだが、3年後に突然その不幸は訪れたのである。
それは、夫がエンジニアとして乗船中、同僚との喧嘩に巻き込まれ、刺されるという事件であった。
手当の甲斐もなく、夫は3日後に死亡・・・

清美は、その知らせを受けた時に妊娠していたが、それを聞き、ショックのあまり流産してしまった。
この時から、彼女の不幸が始まったのである。
何しろ、大黒柱の夫に死なれたのだ。
セカンド航海エンジニアとしての夫の給料は、毎月3000USD(約13万ペソ)程度であった。
その収入の道が、完全に絶たれてしまった格好になる。

夫は船員保険に加入していたが、事故ではなく事件であったため、僅かな保険金しか出なかった。
それどころか、結婚を機に、あるサブデビジョンに家を買っていたのだが、銀行で借りたお金が返せ
なくなり、銀行側からの差し押さえで、家を開け果たす羽目にまでなってしまったのである。
最早、清美には何一つ残されてはいなかった。
失意のどん底で、日本に帰国しようかと考えていた時、ある日本人神父に出会った。

その神父さんは、バギオに教会付属の孤児院を持っている。
清美は、その後、その神父さんの依頼で、その孤児院の世話をすることになったのだ。
それから、8年の月日が流れている。
一度は絶望に陥った清美であったが、ここに来てからは、以前の明るさを取り戻すことが出来た。
いや、それ以上に、生きる希望まで与えられていたのである。

ここの孤児院に収容されている子供達の中には、親が犯罪者であったり、自分自身が、親や他人か
らレイプされたりと、心と身体に大きな傷を持つ者が多かった。
が、日本とは違い、交通遺児は皆無に近いようである。
清美は、今の自分の仕事を、天職と考えるようになった。
そうやって、少しでもここにいる子供達の心を開こうと、日々努力をしている清美であったのだ。

定次は、そのシスターの案内で、ここの孤児院を見学している。
ちなみに、定次が寝かされた部屋は、民家ではなく、教会の中にあるゲストルームであった。
誠に質素な作りだが、掃除が綺麗に行き届いているため、不快感などは全くない。
その部屋の前に小さな庭があり、その向こうが孤児院であった。
孤児院といっても、何か大きな民家のようで、どうみても安作りにしか見えない建物である。

定次は、シスターから色々な説明を受けている途中、笑顔で挨拶してくる子供達が多い中で、全然
笑顔を見せようとしない少女がいることに気が付いた。
理由を聞くと、この少女は、長年に渡って、実の父親からレイプされ続けて来ていたらしい。
どうやら、重度の心的外傷(トラウマ)を背負ってしまったらしく、シスターが、幾ら心を開かせようとし
ても、全く受け付けないということだった。

その父親は逮捕されたが、彼女に取って一番ショックだったことは、これ又実の母親が、父親とのセ
ックスを強要していたということである。
一体、どういう心理状況であれば、そういうことが出来るのかが不思議に思えるが、この国にはこう
いった不条理な事件が余りにも多い。
定次は、聞いていて胸が悪くなった。

と、言うより、腹を立てていたが、反対に、こういう子供達の面倒見ているシスターは、何とえらいの
だろうかと、感動してしまった定次ではある。
他にも、両親が揃って麻薬患者の子供も居たりと、自分が今までに聞いたこともないような話ばかり
聞かされたが、それらで心の傷を負った子供達の身の上を考えると、やるせない気持ちにもなった。
『シスター、あなたは本当に素晴らしい。』

定次は、心からそう思ったので、思わず口にしてしまった。
『いいえ、私は神より与えられた役割を果たしているだけなのですよ。』
シスター山野は、染み入るような笑顔でそう言った。
『そんなことはないですよ、誰にでも出来る事ではありません、本当に頭が下がります。』
そう言った定次だが、不思議な事に、彼の口調から博多弁が消えている。

シスター山野がきれいな標準語を使うので、何となく博多弁を使うのが躊躇われたのであろうか?
いや、この気持は分からないではない。
人には誰でも、好きになった人には、何とかして嫌われまいとする気持ちが働くものである。
と言うより、積極的に好きな人に合わせようとするであろう。
定次は、知らず知らずの間に、シスターに好意を抱いて来たようだ。

シスターが少し用事があるというので、定次は、小庭の中にあるベンチに腰掛けて待つことにした。
その向こうには、先程の、あの笑顔を見せない少女サリーがいる。
サリーは、相変わらずの無表情で、誰と口を聞くでもなく、独り孤児院の壁に身体を寄り掛けていた。
(俺がこの子を笑わせたら、きっとシスターは喜んでくれるじゃろうのう・・・)
不意にそう思った定次は、つかつかつかと、サリーに近づいていくのであった。


続く・・・


果たしてサリーは笑うのか? ここを押さないと続きが読めませんぞ!(爆)
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モツ鍋屋のおやじがゆくフィリピン紀行 8 [小説]

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シスター山野は、定次にそう言った後、部屋の窓のカーテンを開け、ついでに窓もあけた。
あれほど暑かったマニラであったが、ここでは窓を開けたことにより、心地良い涼しい風が入ってくる。
窓の外の様子から、日はとうに登っていたらしく、定次は随分と長い時間眠っていたようだ。
シスターは、まだボーとしてあまり反応を示さない定次に対して、紅茶を飲むように勧めてくれた。
(俺はどうしてここにいるのだろう?、バギオとは何処?、この日本人修道女は一体誰だろうか・・・)

定次に、ようやくそこまで考える思考能力が蘇った時、シスター山野がこう口を開いた。
『あなたはねえ、危うくジープに轢かれそうになった時に、間一髪で助かったのですよ。 実は私もその
ジープに同乗していたのですが、気を失われたまま目を覚まさないので、ここまで運んだのです。』
シスターはそう言ったが、細かいところは、作者がシスターになり代わって述べよう。
定次が転倒して道路に倒れた時、丁度そこを通りかかったジープは、もう少しで定次を轢く所だった。

急ブレーキを掛けてようやく止まったが、それは、定次の頭すれすれにタイヤがあったくらいである。
そのジープは、バギオからマニラまで、野菜を積んで往復するジープであったのだが、丁度その時は、
バギオに野菜を仕入れに戻る最中であった。
そのバギオで野菜を仕入れた後は、ジープは速攻でマニラに再び戻らないとならない。
このジープの運転手とシスター山野は、教会で知り合いの関係にあった。

たまたまマニラに所要があったので、このジープに便乗させて貰い往復したのだが、いつもならジープ
は、もっと早い時間にバギオまで戻っていなければならない。
が、シスターの用事が長引いたので、夜の遅い時間に、バギオまで帰る羽目になっていたのである。
ジープの運転手とシスター山野は、定次を助け起こしたが、彼も意識を取り戻そうとはしない。
転んだだけで、別に轢かれてもいないのだから、病院に連れて行くのも躊躇われた。

そこで、シスターは、定次が抱えていたカバンに名札が掛かっているのを見て、この男が日本人であ
ると気付くと、このまま放っても置けないので、ジープが自分のせいで遅れているのも考慮して、取り
敢えず、定次をこのままバギオに連れて行く決心をしたのである。
こうやって、定次は知らない間にバギオまで連れて来られたのだが、ジープはシスターの家で二人を
下ろすと、市場へと消えてしまった。

下ろしてしまえば直ぐに、野菜を仕入れて再びマニラにトンボ返りである。
幸いなことに、マニラでシスターを待つ間にタップリと仮眠を取っていたので、運転手は元気であった。
それはさて置き、シスターから色々と説明されて、やっと自分の置かれている状況を把握した定次で
あったが、これからどうして良いのかが分からない。
ともあれ、これまでの経緯は、シスターに全部話をしてみた。

話を聞いたシスター山野も、定次のこの波瀾万丈には、流石に驚いたに違いない。
何と、初めて来たフィリピンで、しかもその初日に、2度も死ぬ目に遭おうなどとは、夢にも考えられな
いような出来事ではあるまいか?
しかも、ブラカンで1泊する予定が、遠く離れたバギオで、フィリピンの初めての夜を過ごしたのだ。
(この人は一体、どういう星の下に生まれてきたのか・・・)

そう思ったシスターだが、これは無理もあるまい。
後にも先にも、こういう人間がこの世に存在しようなどは、今までに考えたことがなかったからである。
定次は、そういうシスターの呆れたような顔を見て、流石に照れくさそうな顔をした。
『で、あなたは、これから日本へ帰られますか?』
シスターは、定次にそう聞いた。

定次の比国での滞在予定は、3泊4日である。
そう考えたら、確かにあと2泊はできる。
シスターから、ここはマニラからは遠いのだと聞かされていたが、帰国の日の福岡便は、朝が早いの
だということは頭に入ってはいなかった。
『良かったら、暫くここを見学して帰りたいのですが・・・』

定次の口からは、自分でも思っても見なかった言葉が飛び出して来たが、これには理由がある。
シスターの、若々しくも神々しい顔を見ている内に、定次はなにか感じるものがあったからなのだが、
それは、淫欲とかそういう類のものでは無かった。
何かしら、自分が今迄に体験したこともない、不思議な感覚なのである。
例えその感覚が、恋への入り口の変形であるにしても・・・


続くと思う・・・


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モツ鍋屋のおやじがゆくフィリピン紀行 7 [小説]

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定次は、ニダの家から、命からがら逃げ出した。
慌てて飛び出した割りには、お金の入ったカバンだけは、しっかり肌身離さず持って来ている。
とっさの事だったが、これだけは正解であったろう。
お金さえあれば、後は何とでもなる。
兎に角今は、追っ手が来ない所まで、走って逃げなければいけない。

そうは思ったものの、ブラカンの田舎の事ゆえ、街灯などの照明が少ないのは正直恐かった。
しかし、もっと恐かったのは、先程のニダの形相であろう。
中洲のフィリピンパブで見せていたニダの笑顔からは、到底想像も出来ないくらいの鬼の形相だった。
(あの後、どうなりんしゃったろうか・・・?)
定次は、先程の光景を思い浮かべただけでも、身の震える思いを禁じ得ない。

(もしかしたら、死人が出たかも・・・)
そうも思ったが、自分の命さえ今は危険な状態にあるのだ。
もし先ほどの事件が解決してしまえば、ニダかジェフかのどちらかが、自分を追い掛けて来るのは必至
のように、定次には感じられていたからである。
しかし、走りながらも、定次にはこれから何処に行こうかというあてもない。

今の定次を支配しているものは、殺されまいかという恐怖だけである。
それだけに、あてもないどころか、フィリピンに対して無知な定次でも、必死で逃げざるを得ないのだ。
定次は、兎も角も走りに走り続けないといけない。
確か、昼間ニダの家に行く前に、車の往来の激しい大通りを通った記憶が定次にはある。
彼女の家は、確かそこから15分ほど走った所だったような気もするのだ。

(そこまで走れば何とかなるかも・・・)
定次には、それだけが希望の綱だった。
但し、そこへ辿り着くまでは相当大変そうである。
何せ、日頃から運動不足の52歳であった。
しかも、道路はでこぼこだし、照明も所々無いところが多い。

そうやって、休み休みながらも小一時間ほど走り続けただろうか、前方にやっと目指していた大通りが
が見えてきたではないか?
(やったばい、こいで俺は助かったっちゃ)
そう思ったのも束の間、定次は、最後の力を振り絞るようにして、走って大通りへ出た瞬間、道路の窪
みに足を取られて、そこに思い切り転倒してしまった。

しかも、定次にとって更に運が悪いことに、丁度そこにジープが高速で走って来たから大変だ。
そうして、定次が転倒したその瞬間に、そのジープのタイヤが自分に迫ってくるのを見て、彼は、そのま
ま気絶してしまったのである。
(ああ、これでこの物語も終了か?)
作者も読者も、そう思ったに違いない。

が、定次はまだ生きていた。
彼は、ある夢を見ている。
ニダが鬼の形相で定次を追い掛けてくる夢だが、どうしたことか足がもつれて上手く走れない。
何度も何度も追いつかれようとする度に、声も出そうとするのだが、その声すらも出ないのだ。
そして、定次はニダにとうとう腕を掴まれた瞬間、夢の中でも、再び転倒してしまったのである。

定次は夢の中で転倒する瞬間、『あっ』という声を出したが、何故かその声で目が覚めてしまった。
気が付くと、ベッドの上に寝かされている。
定次は身を起こしながらあたりを見回して、(ここは病院かな?)と思ったが、どうやらそんな雰囲気でも
無さそうだ。
(何処かの民家のようだが・・・)

定次は、そう思いながら自分の持ち物を確かめた。
鍵を掛けたままのカバンは、そのままベッドの脇に置いてあったし、ズボンのポケットにある財布もその
ままのようである。
今度は、自分の身体を確かめねばならない。
定次は、ベッドから立ち上がった瞬間に、足に違和感を感じた。

違和感のあった場所を触ってみたが、少々腫れている程度である。
(これなら心配はあるまい)
そう定次が思った時、部屋のドアが開き、一人の修道女が入ってきた。
歳の頃は30代であろうか、柔和な顔をしながら彼女は定次に近づき、日本語でこう言ったのである。
『気が付かれたようで良かったですわ。 私はここバギオで修道女をやっているシスター山野です。』


続く・・・


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ビジネスの現場にKTVの女の娘? [雑記帳]

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昨日は、あるビジネスコンサルタントの方の、商談にお付き合いしました。

相談者は、これから新規にフィリピンでビジネスをしたいとのこと。

まあ、そこまでは良いのです。


でも、その日本人に付いて来ていたのは、何とKTVの女の娘・・・

本人は、すっかりと通訳兼秘書気取りです。

ガムを噛みながら、一生懸命蓮っ葉な日本語を駆使して、口を出して来るのですなこれが・・・


連れてきた日本人は、これが又例外なくじい様で、ゴルフとKTVが大好きという勘違いおやぢ。

これには、コンサルタントの人も弱っていました。

秘書として使うのなら、ちゃんとした服装、物腰、的確な判断の出来る人なら、申し分ありません。


しかし、これからこの国でちゃんとしたビジネスをしようと考えている人が、幾ら他に通訳がいないから

と言って、カラオケの女の娘を引っ張って来るのはどうなのでしょうね?

勿論、KTVの女の娘でも秘書科のある大学に進み、苦学生として働いている娘ならまだましでしょう。


幾らフィリピンでも、ど素人が参加できるビジネスなどありません。

サリサリストアでも、マネジメントが出来なくて、即刻潰れてしまう店が多数存在するのです。

そういう素人を頼って、ビジネスの席に同席させるなど、全く持って言語道断ですな。


何か話題を出すと、『あっ、私それを知ってる』、『アコも出来るよそれ・・・』、『パパぁ、それはアコに任

せるナラン・・・』、『アコならだいじょーぶだから!』 ・・・

一生懸命自分をアピールしたいのか、嘴(くちばし)の休まる暇もありません。(笑)


それを聞いた、超勘違いおやぢ殿・・・

『ほ~ら、この娘は頭が良いでしょ、しっかりしてるし、この間なんかレストランでお釣りの間違いを直ぐ

に気付いたりとかねえ、いやもう、何でも任せられるんですよ~』


『・・・・・・・・・・・・・・・・』

(おととい来やがれ、おととい来やがれ、おととい来やがれ、おととい来やがれ)

私もコンサルタントの人も、心の中でそう思い続けていました。


結局、コンサルタン料が発生しますと言ったら、驚いて帰ってしまいましたが、タダ働きをさせる気だっ

たのでしょうかねえ?

それとも、金が掛るくらいなら、この何でも出来ると云う女の娘に、全てを任そうと思ったのでしょうか?


これは、見ものですぜ。(苦笑)

会社設立を、ど素人のKTVの女の娘が出来るものなら、それは奇跡以上でしょう。

まあ、これからこのじい様は、この娘から幾ら持っていかれるのかが、大体予測がつきますな。


女の娘には金を惜しまないが、他の出費は極力抑えに掛るのが、典型的なじい様の姿です。

こういう人に限って、『在比の連中はよう、直ぐに金を寄越せ寄越せでよう、ありゃあ乞食だぜ・・・』

な~んて、悪口を云うのでしょうねえ・・・(血涙)


女の娘は、これで大事なパトロン様の出費が食い止められたと、鼻高々でしょうな。

じい様の方は、良くやったと、この頼りになる女の娘を褒めるのでしょう。

あ~、この幸せなじい様が羨ましい!(爆)


幸せとは何でしょう? ここを押したら答えが分かりますぞ!(爆)
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フィリピン流忍法 『隠れ身の術』 [雑記帳]

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実は、少しうんざりしているのです。

ということで、今日の記事は私には珍しく、思い切り愚痴ブログになるでしょう。(苦笑)

事の発端は、3ヶ月前にありました。


新規取引先を仲介者から紹介して貰ったのですが、最初は何度もミーティングを重ね、順調に信頼

関係が築けてきていると確信していました。

ところが、3週間前のことです。


ぷっつりと連絡が途絶え、それ以来、こちらから連絡しても応答がないのです。

まだ取引が始まっていないので、実損被害はないのですが、そこと専売契約を結ぶ約束をしていた

ので、連絡がつかない限り他に話を持っていけません。


隠れたまま出てこないのだから、交渉の余地が無いですな。

この話もこちらから持ち掛けた訳ではなく、先方の要請で始まった話です。

一体全体、訳が判りません。


KTVの女の子が、都合が悪くなったからと、雲隠れするのとは理由が違います。

商取引に迄、フィリピンスタイルは無いでしょう?

で、仲介者に、そのことを先週伝えました。


驚いた仲介者は、週明けに会談をセットするからと言うので、昨日のこのこ出掛けて行きました。

が、約束の場所と時間には、見事に誰も居ません。(笑)

仲介者に連絡を入れますが、その人も電話に出ない始末です。


テキストを入れますが、それも無視です!(爆)

恐らく、思い切り都合の悪い理由が出来たのでしょう。

それならそれで、正当、不正当に拘らず、理由を述べるべきだと考えるのは日本人ですな。


こちらの人にとって、逃げるとか隠れるという行為は、ごく当たり前の話なのです。

しかも、先方の言い分は、相手を傷つけまいとして行った行為だという、素晴らしく立派な理由を

述べて来るつわものも居ますので、開いた口が塞がる暇もありません。


お金を借りたまま、姿をくらます人の理由がこれですな。

『恥ずかしいから・・・』

実に、立派な理由ではありませんか!(ぷっ


さ~て、実に困った話になりましたわい。

見切りをつける時期を間違えると、大変な損失になります。

商売上のフィリピンスタイルだけは、勘弁して貰いたいものですね。


え~い、困ったときはここを押しましょう!(爆)
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おでん屋を開きたい・・・(笑) [雑記帳&食日記]

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小説の方は、暫くお待ち下さい。

少し休んで、直ぐに再開します。

さて、日本は酷暑のようですね。


反対に、こちらは雨続きで少し肌寒いです。

最高気温も25~27度と、30度まで上がりません。

こうなったら、やはりおでんですわ。(笑)


以前も記事にしましたが、私の作るおでんは、フィリピン人にはとても受けます。

16年間作り続けていますが、不味いとか口に合わないとか、言われたことがありません。

不特定の方にも食べて貰いましたが、皆口を揃えて美味しいと言ってくれます。


で、昨日も作って食べたのですが、ここまで来ると、おでん屋を作りたいですなあ・・・

勿論、ターゲットはフィリピン人です。

味も、フィリピーノテイストにしなくてはならないでしょう。


醤油を減らして、パティス(魚醤)を入れるのも手ですね。

材料費の削減にもなりますし、味もぐっとコクをマシます。

秋田にも同じ魚醤(しょっつる)がありますが、やはり、おでんに入れても美味しいそうですね。


まあ、魚で出来た練り物には、魚から出来た魚醤は合うのでしょう。

さて、こうした魚の練り物ですが、はっきり言ってこちらで買うと高いです。

どうやって商業ベースに乗せるかという問題になると、やはりコストは抑えねばなりません。


練り物は、自家製が良いのかも知れませんね。

もう十五年くらい昔ですが、ハランボに似た小魚で、じゃこ天を作ったことがありました。

これが最高に美味しかったのですが、それだけに最高の手間暇が掛かりました。


が、人件費の安いこの国でなら、手作りも可能でしょう。

ミンサーも導入すれば、もっと素早くきめ細かい練り物も出来そうです。

う~ん、夢も出てきましたな。


が、問題は価格です。

ロケーションもさることながら、こういうものは標準的な値段がありません。

日本料理店でも何度か食べましたが、私の口に合わないばかりか高いです。


日本人客を想定しているお店なら、これは仕方が無いでしょう。

でも、私がやりたいのはフィリピン人向けです。

是非、フィリピン全土に、おでんの素晴らしさを広めたいですね。


老後の保証が全く無い今、これからのことを視野に入れていくのは必須です。

副職で食べていくことも、考えて行かねばなりません。(深刻)

皆様の、忌憚のないご意見をお待ちしています!


押すべし、押すべし、押すべし、押すべし、押すべし、押すべし、押すべし、押すべし、押すべし!(爆)
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モツ鍋屋の息子がゆくフィリピン紀行 5 [小説]

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徳次は、眠れぬ夜を過ごしてしまった。
当たり前の話で、朝になっても、トニーは帰ってこない。
徳次は、この時点になっても、トニーが自分を騙したとは思ってもいなかった。
何せ、トニーはこのホテルのガードマンなのだと、頭から信じ込んでいた徳次である。
(もしかしたら、車が直ぐに見つからなかったのかなあ・・・)

そう考えていた徳次だが、時間が経つにすれ、連絡一つも寄越さないのは妙だと感じ始めていた。
(いっそのこと、他のガードマンにでも聞いて見たいが・・・)
そうは思ったが、何せ彼は言葉が出来ない。
出来なければ、何も聞き出せないであろう。
その時、彼はあることを閃いた。

(そうたい、あの日本人マネージャーなら聞いて貰えるかもしらん・・・)
急いで部屋を出て、フロントまで降りると、日本人マネージャーを探しまくる徳次である。
しかし、その辺を見回してみたが、日本人マネージャーの姿は見えない。
その時、徳次が誰かを探す素振りに気付いたフロントの女の子が、彼に声を掛けた。
『もしもし、どうかされましたか?』

彼は、そう聞かれたので、『ジャパニーズマネージャー プリーズ』、と何とかそこまでは言えた。
が、その後がいけない。
フロントの女の子が、『今日は日本人マネージャーは休みです』、と言うのが全く理解できず、何度も
何度も、女の子に聞き返えすだけの徳次である。
徳次にとって、今日ほど英語の勉強をして置かなかったことを、後悔した日は無かったであろう。

会話が成立しないまま、徳次は失意のまま途方に暮れた。
このまま行けば、チェックアウトの時間である。
延泊するにも、またお金が飛んでいってしまうだけのことだ。
(ホテルを替わるにしても、その後にトニーが帰ってきたらどうしよう?)
そう考えただけで、徳次の心は複雑に揺れていたのである。

その時である。
徳次は、はっと一つのことを思い出した。
(そう言えば、あの日系の旅行代理店があるではないか?)
トニーに出会うまでは、元々そこに行く予定であったのだ。
善は急げとばかりに、徳次はそこに急行することにした。

確かそこは、ガイドブックの地図に拠ると、このヘリテイジの直ぐ近くだったような気がする。
トニーが帰ってくるのが気掛かりであったが、今の徳次に選択肢は他にない。
さて、徳次が目指したその日系旅行代理店のジュネムトラベルは、ガイドブックにあったように、ヘリ
テイジホテルからは、歩いて2分くらいの距離にある。
旅行代理店としては、既に30年を超す実績のある老舗だが、ゆえに、日本人の顧客も大変な数だ。

そこのオーナーであるFさんという女性は、彼女自体も40年以上の在比歴を持ち、それだけに、大変
な知識と経験の持ち主であった。
少しぶっきらぼうな口調で、思ったことはズケズケとはっきり言うが、実際は、心の優しい思いやりに
溢れた、素晴らしい女性である。
これまでに、彼女に助けられた日本人は、数えたらキリがないであろう。

著者なども、その助けられた代表例だが、彼女のことを語ると、とても一晩や二晩くらいでは語り尽く
せそうにない程の、お世話になっている。
彼女は時に、食い詰めた困窮邦人にでさえ、面倒をみることが多かった。
放っておくと碌な事をしないからと、私財をなげうって、炊き出しをやって食べさせたり、親兄弟や親戚
一同から見放された人間に、帰国のお金を捻出してやったりと、Fさんの所業は最早仏に近い。

しかし、商売抜きで面倒を見てくれるのは良いが、そういう経営者だけに、お金にならないことが多く、
長く勤めている従業員からは、困り者扱いをされている彼女ではあるが・・・
徳次がこれから運命の出会いをするFさんとは、おおよそ、そのような豪傑女性だったのである。
『すみません・・・』
徳次は、ジュネムトラベルの事務所の中に入ると、そう小さな声で言いながら辺りを見回した。

日系の旅行代理店だから、日本人の姿を探そうとしていたのだ。
『ああ、いらっしゃい。』
Fさんは、徳次の声を聞いて、椅子から立ち上がりながらそう言う。
そして、徳次に近づくと、カウンターの席に座るよう勧め、自分もその目の前に座ってこう言った。
『どうされましたか?』


さ~て続く・・・


次回から新展開、押して待つべし!(爆)
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