SSブログ

フィリピン移住を考える・・・その⑰ 『私の回顧録2』 [移住]

51ptx3NhnSL.jpg

いやもう、ヤケクソですわ!(笑)

皆さんに、あれだけもっと詳しく書けと言われたら、書かざるを得ません。

今迄は、我が身の恥と思い封印して参りました。


もう、恥のかきついでですから、最後の遺言のつもりで、ここに書き連ねることにします。

皆様には、これを『他山の石』として、決して同じ失敗をしないようお願いしますね。

先ずは、日本人絡みのお話です。


当時、別居中の妻(現在は離婚済み)が働いていた会社の社長とは、昵懇の間柄でした。

ある日、その社長宅にお邪魔していた時に、ある人物を紹介されたのです。

Kと名乗るその人物は、フィリピンでタクシー会社を経営していると言っていました。


自らもハンドルを握ることもあるらしく、『この人は、フィリピン人顔負けの運転をするんだよ』と、紹介し

てくれた社長は、笑いながらそう教えてくれました。

何でも、以前社長が渡比の折り、偶然その車両に乗り合わせたらしく、その時意気投合したそうです。


Kは、話が巧みでした。

フィリピンで、私が知らないような話を、沢山教えてくれましたね。

フィリピン人が嫁だった癖に、フィリピンのことを何も知らない私は、次第に彼に傾倒していきました。


何度も繰り返しますが、まだネットが普及していない昔のお話です。

聞くこと全てが、新鮮だったわけですな。

結婚時を含め、数度の渡比経験しか持ちあわせていなかった私ですから、たちまち夢中になりました。


新規の事業をやるので、ここの社長に協力を求めて日本に来ていたKですが、滞在している間に、私は

何度も話を聞きに行くようになっていきます。

Kは、比国でビジネスをしているくらいですから、当然移住者ですね。


移住の魅力を、これでもかという位、私に散々吹き込んでくれました。

私は、半分夢遊病者のように、移住を夢見るようになっていきます。

Kも、全面的に協力をすると言ってくれました。


比国でのビジネスも手伝うと言ってくれましたし、当面の生活の仕方なども細々と教えて呉れます。

移住を決断するまでに3度渡比をしましたが、K若しくは彼の部下が、必ずアテンドしてくれました。

Kは、新たなビジネスへの出資を社長にお願いしていたので、何度か日本も訪れます。


Kと知り合って6ヶ月後、私は移住を決意しました。

別居中の妻に話をしましたが、ケンモホロロに馬鹿にされてしまいました。

彼女は、ここで仕事をしながら、子供を育てると言い張ります。


私は、『もし向こうで成功したら、親子3人で又一緒に暮らそう。』と言うと、彼女は冷たい顔で、『もし、

それが本当になったらね・・・』と、まるで信じていないかのように、そう云いました。

両親にもその話をすると、『もし、そんなことをするのなら勘当だ!』とも言われて仕舞いました。


もう、こうなったら四面楚歌です。

Kからは、いつ移住してくるのかと、矢のような催促がやって来ます。

それまで中立派だった社長は、この頃からKに不信感を抱いていたようです。


Kの持ってきたビジネスの話が、どうも胡散臭いと思い始めたのかも知れません。

私にも、慎重に考えろ、と何度もアドバイスを呉れました。

しかし私には、移住を決める迄の3度の渡比時に、Kにはお世話になった恩があります。


ここで、無碍には移住を断念するとは云えなくなってきていました。

そうして、誰もが反対する中を、私は移住を覚悟してフィリピンに渡って行ったのです。

最悪、2度と日本の地を踏めなくなることを覚悟して・・・


続く・・・


ここを押して、明日の更新を待ちましょう!(爆)
      ↓
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。