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フィリピン移住を考える・・・その25 『私の回顧録(あとがき2)』 [移住]

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私は、アリエールという名前の、フィリピン人のことを思い出していました。

アリエールとは、彼が日本に仕事の研修に来ていた時に知り合ったのですが、フィリピンに帰国して

からも、何度か日本から連絡を取り合っていたのです。


超理論肌の男ですが、他人には優しい性格でした。

研修時に少し面倒を見たことがあっただけなのですが、恩にでも着て呉れていたのか、妻の帰省時に

同行した時などは、積極的にマニラの名所などの案内役を買って出てくれた程です。


そういう彼の存在を、何故か私はすっかり忘れていました。

彼の家にも、何度か訪れたことがあったにも拘らずにです。

いわば、家族ぐるみの付き合いだったに、私は失念していたのでした。


彼は、私からの連絡を受け取ると、直ぐに会おうと言ってくれましたが、その口調は、何故か慌ただしい

ものを感じました。

実を言うと、彼は別居中の妻から既に連絡を受けていたのです。


妻にしてみれば、もう数ヶ月も音沙汰が無いので、当然といえば当然ですね。

彼は私に会うと、開口一番、直ぐに妻の実家に顔を出せと怖い顔で言います。

あっ、ちなみに彼は日本語が少し出来ました。


研修中に覚えたのですが、私はその時の先生の一人だったということにもなるでしょう。

それはともあれ、私はそれをかたくなに拒否しました。

『マテガスウロ』、と彼に言われましたが、こんな状態になって、妻に笑われたくはありませんでした。


仕方がないなと、彼は思ったのでしょう。

数日、彼の家に逗留させて貰った後、小さなアパートまで探してくれました。

職も、アリエールが会社の日本人に相談してくれましたが、言葉の問題で無理だったようです。


しかし、こんな生活もいつまでも続けては行かれません。

アリエールの負担も、次第に大きくなっていきますし、相当な迷惑だったことでしょう。

暫くして、妻の弟が私を迎えに来ました。


アリエールも、妻にずっと嘘は突き通せなかったようです。

結局私は、妻の実家に引き取られることになりました。

その後妻が帰省して来て、話し合いの結果、親子3人でフィリピンで暮らそうということになります。


ですが、この生活も長くは続きません。

就職口は見つかったものの、人には言えないくらいの安月給でした。

日本の暮らしに慣れていた妻は、そういう生活が耐え切れなかったようです。


やはり、元妻とは相性が悪かったようで、彼女は子どもと一緒に日本で暮らすと言い始めました。

『日本に帰るのだったら離婚だぞ』、と言っても聞く耳も持ちません。

来た早々大失態をやらかした癖に、日本には帰りたくないと言う私に、もう愛想を尽かしたのでしょう。


『勝手に、此処で暮らしなさいよ!』

そう言って、妻は子供を連れて日本へ帰ってしまいましたね。

日本に帰って行った早々離婚届が届いたので、私は、さっさとサインして送り返しました。


養育権を獲得した元妻は、今でも日本で元気に暮らしています。

子供も大きくなり、就職もしました。

私のみが、この国で生きるという選択肢を選んだ訳です。


さて、それからの私は、バクラーランに一人で住み着きました。

例の4天王と知りあったのも、この前後ですね。

バクラーランに住み始めて1年が過ぎた頃、ポリスのダンとパサイのKTVに行った時のことです。


居ましたよ・・・そこにトニーが・・・

しかも、日本人観光客とおぼしき数人と一緒です。

トニーは、ステージで日本語の歌を歌っていました。


日本人は、わんやわんやと拍手喝采しています。

恐らく、トニーがガイドをしている、日本人ツーリス達なのかも知れません。

私はダンに、トニーが居ることを告げました。


私は、以前からトニー達の話をダンにしていましたから、彼の反応は素早かったですね。

ポリスであるダンは、護身用の小型の拳銃を、いつもポケットにしのばさせていました。

しかし、店の中では幾ら何でも拳銃はまずいです。


ダンは、店のマネージャーを呼び出しました。

客を一人外に連れ出したいのだが、もしかしたら、少々手荒なことになるかもしれないと断ります。

ボックス席で影になっていたので、トニーは、まだ私達には気が付かないと思っていました。


しかし、彼が歌を歌い終わった時のことです。

彼は真っ直ぐに自分たちの席に戻らず、私たちの席にやって来るではありませんか?

私は、これには驚きました。


『ああ、◯◯さん元気ですか?お久しぶりですねえ・・・』

覚えてないのかと思いきや、私の名前まではっきりと言うではありませんか!

私は、少し興奮気味になって、兎に角そこに座れと彼に云いました。


トニーは、何故私が興奮して厳しい表情になっているのが全く分かっていないようで、兎に角、不思議

そうな顔をしています。

しかし、ダンがポケットから拳銃を出してちらつかせると、トニーは急に怯えたような顔になりました。


様子を察したのか、トニーの方から外に出たいといい出します。

このまま行けば、連れている日本人に正体がバレると思ったのかも知れません。

我々は、マネージャーに断って、トニーを連れて外に出ました。


で、隣のローカルKTV店に行き、そこでトニーに詰問を浴びせることにしたのです。

流石に、ダンは現職のポリスでしたわ。

脅したり宥めたりして、トニーから色々なことを聞き出しました。


さて、ここで判明したことを羅列してみましょう。

先ず、ホテルでの10万円の盗難はボーイの単独犯行で、トニーは知らなかったと言い張ります。

Kのボーイへ指示は、銀行での犯行のみだったそうです。


トニーは、それは後からボーイに聞いただと言いますが、恐らく嘘でしょうね。

しかし、ボーイがミンダナオに逃げたと嘘をついたことは認めさせました。

トニーは、主に日本人客を捕まえてくるのだけが仕事だったようです。


Kの指示で動く、いわゆる実行犯は、実はボーイだったと供述しました。

トニーは、ボーイのボクシングの腕が怖くて、いつも従うだけだったとも言います。

驚いたことに、カビテの家での盗難も、ボーイの犯行だと云いましたね。


トニーは、私が事件後に3人が一緒に居るところを見たとことに、まだ気がついていません。

私のことを、本気で心配したから、カビテの友人の家を紹介したのだと言い張ります。

私は、トニーにそのことを告げました。


流石に、これにはぐうの音も出ないトニーです。

それからは、割と素直に泥を吐きました。

ボーイはトニーから、私がカビテの家にいることを聞き出していたのです。


そこで、私が居ない時を見計らって、合鍵を持って犯行を犯したに相違ありません。

そうなると、合鍵を渡したのはトニーだと言うことになりますね。

『お前も共犯だぞ!』


ダンの口調が、つい厳しくなって来ました。

震え上がるトニーに、Kとボーイの消息を聞き出します。

ボーイは、その後別件で警察に捕まり、留置場に送られたといいます。


ポリスであるダンに、管轄署で調べてくれれば分かるとまで云いましたから、本当だったのでしょう。

Kですが、これも別件で日本の警察から追われており、こちらの入管に拘束された後に、日本に強制

送還されたのだと云いました。


それが事実なら、別の日本人を鉱山の件で騙し、立件されたのかも知れませんね。

ともあれ、聞きたいことは全て聞き出しました。

で、ダンが私に、わざとトニーにも聞こえるような声で耳打ちします。


『こいつどうする?、何なら殺して海に放り込もうか?』

それを聞いたトニーは、すっかりと怯えました。

タガログ語で、一生懸命ダンに命乞いをします。


私は、彼を許すことにしました。

何故ならば、彼の家族の顔を思い出したからです。

彼の娘の誕生日パーティに呼ばれた時の、彼の家族の笑顔が忘れられませんでした。


『もう、許してやろうよ・・・』

私がそう言うと、ダンは渋々トニーを開放しました。

『今度、悪事を働いたら、今度こそお前を殺すからな!』


ダンは、トニーにそう釘を差すのを忘れませんでした。

『もう、日本人を騙すなよ。』

私もそう言ってやりましたが、彼は根が小心者ですから、指導者が居ないと悪事も働けないでしょう。


ああ、やっとこれで、この長かったあとがきも終われますわ。

罰せられる人間も、皆それぞれの持ち場に帰って行ったようです。(笑)

たとえ髪は無くても、神はちゃんと存在するものなのですな!(爆)


神を信じる者は、ここを押しましょうね!(爆)
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