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フィリピン移住を考える・・・その⑲ 『私の回顧録4』 [移住]

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夜遅くなって、Kがやって来ました。

ボーイは食事が終わると先に帰ったので、トニーだけが部屋に残っていましたね。

トニーはKを見て、『ボス』と呼びます。


まあ、これは別にギャングのボスと言う意味合いではなく、単なる雇い主にも使う敬称ですが、聞いた

当初は驚いたものです。

Kは、トニーの挨拶などそっちのけで、早速、私に仕事の話を持ち掛けてきました。


聞けば、何とかとか言う鉱石(失念しました)を、日本に輸出すれば売れるといいます。

その為には、採掘の権利を買った上で、重機も揃えねばなりません。

それに、投資をしてくれという話でした。


当初の私は、漠然と、マニラで飲食店でもやりたいと考えていました。

Kにそのことを相談すると、大賛成してくれて、何でも手伝うよと言われていたからです。

話しが違うではないかというと、こっちの方が儲かるのだといいます。


『飲食店なんかはいつ潰れるかは分からないよ、何しろ水商売と呼ばれるくらいだからねえ・・・』

平気な顔をしてこう言いますが、確か以前はこう言っていました。

『商売するなら飲食店に限るよ、何せ、人間は食べるものがないと生きていけないのだから・・・』


ともあれ、直ぐに返事をする気にもなれません。

暫く考えると言った私の表情を察したのか、Kはこう言い始めました。

『まあ、飲食店なら場所にもよりけりだな、そう言えば掘り出し物の物件があるぜ。』


『えっ、それは何処にあるのですか?』

私は、身を乗り出してそう尋ねます。

訳の分からない投資の話しより、飲食店の方に絶対の興味があったからです。


Kはにやっと笑って、『明日案内するよ』 と言いながらトニーを連れて帰りました。

次の日の朝、Kは約束の時間に大幅に遅れてホテルにやって来ます。

空港近くに家があると言っていたKは、大渋滞に巻き込まれて中々到着出来なかったと言いました。


先に来ていたトニーの運転する車で、我々は現場へと向かいます。

その物件は、パサイ市にありました。

渋滞だと言っていた道路ですが、気のせいか反対車線も全てスイスイ走っています。


現場に到着して、さっそくその物件を見ますが、内装もよく綺麗な作りでした。

まだ営業中とのことですが、オーナーのフィリピン人がKの友達で、歳のなので引退したいから、店の

権利を人に譲りたいということらしいです。


らしいですというのは、オーナーは不在らしく、店番の女の子しかいなかったからですが、Kは、この店

のことなら、全て自分に任されてると言っていました。

テーブルや厨房機器が全てが付いて◯◯◯万円とのこと・・・


これでは、私が銀行に預けてあるお金と、手持ち金を足してもぎりぎりです。

運転資金が有りませんと言うと、Kが交渉してやるよと言い始めました。

その日はそのままホテルに帰りましたが、次の次の日の早朝にKから電話が掛かってきました。


『おいおい、やったよいい話だよ、あの店のオーナーが入院してさ、手術代やら入院費やらでお金に

困ってるから、こっちの言い値で権利を売るとさ・・・』

『ええ、本当ですか?』


私は、息を弾ませながらそう言いました。

(こんな有利な条件など、多分絶対無いだろう・・・)

私はこう考えて、早々Kに言いました。


『では、◯◯◯万円くらいで良いか聞いて貰えませんか?』

『ああ、それくらいならいいだろう、早速支払いに行くから銀行からお金を下ろしておくといいよ。』

『分かりました、トニーが来たらそうします。』


勿論その当時の私には、この国の法律などというものは知りません。

レストランも、簡単に自分で経営できるものだと思っていました。

Kの言うことにさえ従っていれば、この国で商売しながら生きていけると信じていたのです。


続く・・・


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