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フィリピン移住を考える・・・その23 『私の回顧録(最終回)』 [移住]

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同じカビテの中で、私は一軒のアパートを探し当てました。

少しメイン通りから遠ざかっていたものの、中々静かな環境です。

トニーには何も断らず、黙って引っ越しました。


引っ越したといっても、荷物は僅かです。

殆ど身一つで、引っ越したと言って良いでしょう。

このアパートのオーナーであるアランは、日本語が少し出来ました。


元は船乗りだそうで、日本へは勿論、世界各国に行ったことがあるそうです。

既に初老は過ぎていましたが、この人が何くれとなく面倒を見てくれました。

あまりお金がないと見られたのか、生活に必要な家具や道具類も、無料で貸してくれたほどです。


私が買ったのは、マットと食器類と電球にLPGのガスタンクだけでした。

ベッドや椅子、台所回りの品やガスコンロなどは、アランが用意してくれましたね。

当然ながら、テレビと冷蔵庫はありません。


もう、無駄使いは出来ないのですから、我慢するしか無いでしょう。

家賃が2千ペソでしたから、当時のレートで約1万円ですね。

敷金一ヶ月分と前払い一ヶ月分でしたが、お金が残り少ないのは否めません。


直ぐにでも、仕事を探さないといけないのですが、探し方も分からないのです。

今のように、ネットで求人を探すことも出来ません。

途方に暮れていましたが、その時にマニラ新聞の存在を思い出しました。


そう言えば、ホテルに泊まっている時に何度か見たことがあります。

その頃は、求人といえばマニラ新聞だけが独占で紹介していましたね。

兎に角、それを思い出した私は、以前泊まっていたホテルにに行って見ることにしました。


新たな住居を得てから、既に1週間が過ぎようとしていた頃のことです。

私は、乗りなれないジープとバスを乗り継いで、マニラへと出掛けました。

思い起こせば、ここ1ヶ月足らずの間に、今まで生きた人生の中で最大の苦難を体験しています。


心も、休まる日もありませんでした。

そういうことを考えながらバスに乗っていましたが、ふと信号待ちで止まっていたバスの中から、隣に

同じく止まった車を覗いた時のことです。


私の目は、もう釘付けになりました。

何故ならば、その車には何と、Kとトニーそれにボーイ迄が乗っていたからです。

(みんなぐるだったのだ・・・)


私の心の中から、声に出ない悲鳴のようなものが湧き上がりました。

私は、急いでバスから降りようとしましたが、その時にはもう信号が変わっていました。

当然、乗用車である彼らのほうが早いのは決まっています。


たちまち見失ってしまったのは、言うまでもありません。

もしかすると、ホテルに行ったら会えるかも知れないと行ってみましたが、そこには居ませんでした。

もう、私はこの時、完全に生きる気力を失くしかけていましたね。


この時までは、完全に3人がグルだとまでは思っていなかったのです。

もしかすると、Kは関係ないかもしれないと思っていたからでした。

(同じ日本人が、日本人を騙すはずはない・・・)


私は、そう勝手に信じていました。

それが大間違いだと気付いた時には、私はとうとう丸裸にされていたのです。

失意の中、私はカビテの住居に帰り、安酒を思い切り煽りました。


前途洋々の気持ちで移住を決断した私でしたが、飛んでもない落とし穴が待ち構えていましたね。

到底受け止め難い出来事でしたが、ようやく私も、この事件をここで書くことに依って、解放されたと

思ってよいかも知れません。


今までは、親しい友人にでも、あまり語って来ませんでした。

あの3人のことは、現在は全然恨んでは居ません。

むしろ、この事件のお陰で私は強くなりました。


その後の事は明日のあとがきに書きますが、兎にも角にも言葉を覚えないことには、騙されてしまう

ばかりだと気付いたのも、この事件が全て発端です。

人間、逆境を経験しないと、強く生きては行けないようですね。


あとがきへと続く・・・(笑)


何故これが最終回なんだと思われる方は、ここを押して明日を待ちましょう!(爆)
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