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フィリピン移住を考える・・・その⑯ 『私の回顧録』 [移住]

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思えば、既に20年以上の月日をフィリピンと関わって来ました。

まあ、ここの読者には、それ以上のベテランの方が多数いらっしゃるので自慢できませんな・・・(笑)

移住生活も16年目に突入していますが、思えば、さまざま人間が私の傍らを通り過ぎて行きました。


このブログは、再開してまだ僅か数ヶ月ですが、以前は良く続けていたものです。

フィリピン就労日記』は2007年から始め、2010年で挫折しました。(苦笑)

実は、就労日記とは名ばかりで、変な小説ばかり書いていましたね。


その後、そこで連載をしていた『鉄じいがゆく』という小説を、『フィリピンmoimoiワールド』というブログ

に書き下ろし始めましたが、これも中途で頓挫しています。

私を古くから知る方は、このブログもどうせ直ぐに終わるのだろうとお思いでしょうな。(苦苦笑笑)


書いていた小説でも、完結しているのは『鉄じいがゆく』だけですぜ・・・(汗)

これでは、叱られても仕方がないのですが、性懲りもなく再び小説を書くことを検討しています。

が、まだはっきりとした骨子は決まってはいません。


構想が固まれば、改めて皆様にお知らせします。

さて、この移住してからの15年間というものは、実に色々なことがありました。

当初はタガログ語も英語も出来ず、右も左も分からない状態で移住してきて仕舞いましたから・・・


来て早々に、日本人絡みで全財産持っていかれました。

ど貧困生活を余儀なくされ、1週間を20ペソで過ごしたこともあります。

まあ、15年前の20ペソですから、現在の100ペソくらいの価値はあったかも知れませんね。


大見得を切って移住してきたのですから、親に頼ることも出来ません。

当時は、今では別れた妻とも別居中でした。

その後、日本時代に知り合ったフィリピン人に助けられ小康を得ましたが、再び困窮が訪れます。


そんな時に、別居中の妻の弟が私を訪ねてきました。

どうやら、私を助けてくれたフィリピン人の友人が知らせたようです。

その後、別居中の妻や両親に、私の困窮ぶりがバレて叱られましたが、今更日本へは帰れません。


日本から比国に渡る飛行機の中で、不退転の決意をしたのですから・・・

さまざまな経緯の後、私は仕事を得てバクラーランに住み着きました。

土着の人と仲良くして貰い、言葉も徐々に喋れるようになって行きました。


しかし、その後大変な事実が判明したのです。

当時別居中の妻の名前で取得していたはずの永住ビザが、実は偽物だでした。

仕事でタイに行く用事があったので、ECC(出国許可)を入管に申請した時に指摘されたのです。


思えばこのビザは、先述した日本人絡みの事件の関係者が手配したビザでした。

しかも、料金は相場の数倍・・・

何も知らないということは恐いですが、当時はネットもない状況ですから相場も分かりません。


頼りになるのは、1冊のガイドブックだけ・・・

ここには、こういう日本人が沢山居るとは書いてありましたが、その手口までは書いてありません。

全てを人頼みにした、私の責任ですね。


ビザは、私のお世話になっている旅行会社のFさんが、全てを修復してくれました。

偽物のビザよりも、本物の方がずっと安かったのには驚きましたなあ・・・

しかしまあ、早々に気付いて良かったですわ。


前の妻の名前で取得したつもりだった永住ビザでしたが、正式に離婚が成立した後だったので、現在

の嫁の名前で再取得が可能になりました。

下手に、前の妻との結婚ビザが受理されていなかったのは、不幸中の幸いでした。


色々アドバイスを頂いたFさんとは、現在でもお付き合いが続いています。

うっかりと人を信じて何もかも頼むと、本当にろくな目に遭いませんね。

正しい人を、選択してお願いすべきだと思います。


思えば、最初は無謀な移住でしたわ。

私がここで書いているのは、皆様が同じ目に遭わないよう、転ばぬ先の杖に成りたいと願うからです。

賢明な読者の皆様は、必ず私の失敗を真似しないで下さいね。


さてさて、とんだ恥を晒してしまい、話も長くなりました。

別に、私の事を小説に書く気はないのですが、思わず語ってしまいましたね。(苦笑)

語ればもっと長くなるのですが、今日の所はこれで勘弁しておきましょう!(爆)


ここを押さないのは、勘弁なりませんぞ!(爆)
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