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どうすれば良いの? [雑記帳]

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時間がないので、手短に書きます。

ある方からメールが来ました。

何でも、友人の紹介で、あるフィリピーナと付き合い始めたそうです。


日本在住のその方は、フィリピンに住む彼女と、いつも電話やチャットで連絡を取り合い、ふた月

に一度は渡比をするという付き合い方をしてきました。

そして、5度目の渡比の時に、結婚を決意し、プロポーズをしてOKを貰ったそうです。


しかし、その手続の途中、驚くべき事が判明しました。

何と、彼女の戸籍が使われていたのです。

詰まり、何者かに成りすまされ、その人間が彼女として、日本人と結婚しているようでした。


これでは、結婚が出来ません。

どういう経緯で、使われたのかも分らないそうですが、以前プロモーションに所属して居た時期が

あり、その時に出生証明書や洗礼証明書などの書類を預けていたそうです。


そのプロモーションが絡んでいるのかどうかはわかりませんが、恐らくそこで成りすましのカラクリ

が生まれたのでしょうね。

他人名義で、日本に働きに行くなど、昔から良く行われて来た手口ですわ。


こういう弊害も、多々あるのでしょう。

この方は、どうすれば良いのかを、聞いて来られました。

残念ながら、私には知恵がありません。


彼女を、心から愛しているそうです。

何方様か、良い知恵をお貸し下さいまし。

お願い致します!



さ~て、何を書きましょうねえ・・・? [雑記帳]

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すっかり、ご無沙汰をしてしまいました。

これだけ間が開くと、書くことを忘れてしまったようですわ。(苦笑)

と、言うことで、今日は生存確認の為だけの記事を書きます。


先週からずっと寝不足が続いており、土日にそれを取り戻そうとしましたが、近所からの騒音攻撃で、

それも敢え無く敢行出来ませんでした。

日本は、秋深しなのでしょうねえ・・・


秋の夜長といいますが、バクラーランの夜も長いようです。

二晩続けての、誕生日パーティが行われました。

昨晩は、12時前には終わりましたが、土曜日は最悪でした。


朝の3時過ぎまでです。

しかも、過去最大の音量でしたね。

ヒットマンでも雇って、カラオケのモニターにでも、ぶっ放して貰いたいほどの気持ちになりましたわ。


くだらない内容ですが、こういうことでも書いている内に、また書く元気が湧いてくるのでしょう。

毎回、同じ内容かと言わないで下さいね!(笑)

ということで、明日から又ガンバガンバ!



許されまじき行為・・・(怒) [雑記帳]

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皆様、お久しぶりです。(汗)

ここ数日は、少し忙しかったですな。

まあ、夜までお仕事ですから、仕方がありますまい。


さて、夜のお仕事ときたら、当然KTVは欠かせませんね。(笑)

今日は、そこで仕入れた話題です。

K嬢は、5年前に男の子を産みました。


聞けば、フィリピン人との子供ではなく、日本人の子供ということです。

今が25歳ですから、彼女が20歳の時にその子供は生まれたのですな。

その子の父親は、マカティにある、某銀行系の高層ビルの中で働いていたそうです。


お店ででも、知り合ったのでしょう。

二人は、仲良くなると、店外でしばしばデートをするようになりました。

その後は、お定まりの妊娠・・・


子供が産まれて暫くすると、その男は任期切れだと言って、この国を去りました。

再来と、子供養育費の約束をしたまま、日本に帰ったその男でしたが、その日から、ぷつりと

音信不通だそうです。


連絡先とか、何も残していなかったようで、完全な確信犯ですな。

彼女は、その日から一気に貧困に陥りました。

家族の助けに、仕事もしないといけない彼女にとって、子供は足枷にもなります。


しかし、これは何処の誰の子供であれ、辿る道はおんなじですな。

彼女だけが、特別に苦労したわけではありませんが、男の無責任さだけには腹が立ちます。

子供を母親に預けると、彼女は、再び日本式KTVで働くようになりました。


それから5年、彼女は為す術もなく、毎日を過ごしてきたそうです。

最初の1年は、男からの連絡を待っていた彼女ですが、全然連絡をしてこないことに腹を立て、

写真や、証拠となる物品を、破り捨てたり、処分してしまったそうです。


これは、失敗ですなあ・・・

フィリピンにも日本でも、日比混血児を支援する団体はあります。

父親探しも、完全には無理ではなかったでしょう。


私がそう教えてあげると、悔しくなったのか、涙を流していました。

『愛していたし、信じてもいたのに・・・』

彼女は、そう嘆いていましたね。


詳しい実情は分かりませんが、子供を見捨てたという事実だけは許せません。

以前は、勤め先の名前も分かる資料が残されていたようですが、それも今となっては何も無い

状態です。


男の名前と、働いていた某銀行ビルの階だけが頼りですな。

話の内容からすると、どうも駐在員らしいのですが、無責任にも程があります。

産まれたから逃げるでは、男として情けないですね!



ピーナとの結婚 『俺は家族ぢゃないの?』 Another2 [雑記帳]

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先日のお話の結末です。

一昨日、メールが届きました。

先ずは、皆様に沢山の御意見を頂いたことに、感謝をされているとのことです。


まあ、かなり耳も痛かったようですが、彼は、全てを真摯に受け止めたようですね。

日比の考え方の差には、正直大変驚きましたが、今回の皆様のコメントで、よく知ることが出来た

ことを、大変嬉しく思いますと書かれていました。


で、結論ですが、彼はこの問題を、自分一人で解決しようとしたそうです。

自分の問題を、他人任せには出来ません。

そう思い立った彼は、思い切って妻に話を切り出しました。


先ずは、台風の被害についての、自分の発した言葉に対する、心からの謝罪・・・

それと、今迄に相手のことを理解しようとしなかったことに対する、反省を述べたそうです。

兎に角、全面的に旦那さんは折れて、奥様に許しを請いました。


奥様は、全てを聞くと、わっと泣き崩れたそうです。

暫く泣いた後、奥さんの言葉からも謝罪が出ました。

最初の数カ月は、怒りで立ちくらみがするほどだったそうです。


ですが、1年を過ぎた頃から、その怒りは段々と和らいでいたそうですが、相変わらず、面と向かって

は、旦那さんと口が聞けません。

意地というか、旦那さんが人を使ってまで、自分を説得しようとしたことにも、腹が立っていたようです。


それやこれやで、3年が経過しましたが、やはり、関係修復のきっかけが掴めませんでした。

全ては、タイミングを逸していたのですな。

そのことを、奥さんはずっと後悔されていたようです。


今回、旦那さんが皆様の意見を聞いて、自分の気持を正直に打ち明けてくれたことで、ようやく自分も

軽くなったのでしょう。

素直に相手の謝罪を受け止め、奥さん自らも、謝罪をしました。


離婚覚悟で、話を切り出した旦那さんですが、これで、丸く収まったとは考えていません。

今の農作業が終わり次第、夫婦してフィリピンに里帰りするそうです。

この提案には、奥様は相当喜ばれたようですね。


もう少し、フィリピンを勉強するためと、奥様の家族との親交を深める為に、彼は決心しました。

全ては、自分自身の勉強不足・・・

彼は、その点を猛烈に反省したそうです。


国際結婚の難しさを、身に沁みて感じた彼ですが、これからも大変な毎日でしょう。

何かあったら、又相談させて下さいとのことでした。

最後になりましたが、私からも、皆様に御礼申し上げます!




絶対に許せない母親・・・ [雑記帳]

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あんなに家族思いのフィリピン人ですが、家族を憎む場合も少なくはありません。

まあ、『可愛さ余って憎さ百倍』と言うところでしょうか?

却って、他人に対する憎しみよりも、怒りを増幅させるケースが多いようです。


先日、仕事での移動中で、ラジオから、人生相談の番組らしきが聞こえてきました。

この手の番組は、この国にも結構あるようです。

で、何気なく聞いていると、20歳の女の子と45歳の母親との確執をやっていましたね。


彼女は、ある田舎で両親と暮らしていましたが、5歳の時に、3歳の弟と生まれたばかりの妹を

置いて、母親が家出をしてしまったようです。

それから、父親が呑んだくれるようになりました。


仕事もせずに、酒を飲んではでは暴力まで振るうので、彼女の家は、思い切り暗く、荒れた家に

なったそうです。

まだ、祖母が元気だったらしく、父親は、金がなくなると自分の母親に金を無心していました。


15歳の時に祖母が亡くなり、収入もないので、彼女は夜の仕事を始めたそうです。

違法ですが、店側も承知だったのでしょう。

彼女は、あるクラブで、ウエイトレスとして働くようになりました。


18歳になると、彼女はマニラのクラブで働くようになります。

そして、19歳の時に、あるオーストラリア人と出会い結婚・・・

今でも、マニラで幸せな結婚生活を送っているとのことでした。


しかし、そんな中、5歳の時に家出をした母親が、彼女に、連絡をしてくるようになったそうです。

田舎にまだ住んでいる弟か妹にでも訪ねて、連絡先を聞き出したのかも知れません。

それからというものは、しつこく会いたいと、電話を掛けてくる毎日だそうです。


で、その番組では、その娘と母親の、電話討論を行うことになりました。

番組中、母親は泣きながら、過去の過ちを娘に詫びます。

が、娘は頑なに、それを許そうとはしません。


最初の内は、母親の問い掛けに、娘はまるで、ロボット様な返事しかしませんでした。

恐らく、感情を押し殺していたのでしょう。

しかし、ある発言を母親がしたことから、激昂が始まりました。


『あなたは、私にウータンナロオブ(恩)があるでしょう?』

母親は、あなたには私が産んであげた恩があるでしょう、という意味で言ったのでしょうな。

娘は、この言葉に猛反発をしました。


『あなたは、私の母親なんかじゃない、あなたが5歳の時に私達を置いていってからは、家族は

大変なことになったわ、私も妹のおしめをいつも洗わせられていたし、お父さんは仕事もせずに

呑んだくれていた・・・、急に姿を表して、どうして今更母親なんて呼べるの・・・?』


娘は、そこまで一気にまくし立てます。

それに対して、母親も負けてはいません。

娘の声の、倍くらいの大きさで、喋り始めました。


『あの時は、仕方がなかったのよ、あなたのお父さんの甲斐性がないし、私は私の人生を選ん

だだけ、それは、あなた達には悪いと思ってる、でも、でも、でも・・・』

母親は、言い訳に詰まったのか、それとも誤魔化すためなのか、泣きじゃくり始めます。


その泣き声を聞くと、娘は又、急に冷めた声になりました。

局の人間が、『どうするの、許してあげないの?』と聞きますが、『許せません』の一声です。

さらに、娘はこうまで云いました。


『これは、この人のお芝居です、この人は今は新しい男と暮らしています、お金に困っているだ

けですよ、私がフォリナー(外国人)と結婚したと聞いて、お金をせびりたいだけなんです・・・』

『・・・・・・・・・・・・・』


余りの情(じょう)のない言い方に、局の人間も母親も、一瞬黙りこんで仕舞いました。

『私は、人を使って調べさせました、この人は今、確かに違う男と暮らしていますし、あちこちに

借金もあります、ですから、この人の弁解なんか信用出来ないのです。』


これは、確信犯でしょう。

ラジオ局で、公開討論されることで、彼女は、母親を完全に貶めようとしたに違いありません。

急にCMになり、その後は、違う相談者の話になっていました。


彼女は、フィリピン的倫理に外れたのでしょうか?

局の人間も、母親に同調気味でした。

私には解りかねますが、確かに聞いていて、後味の悪い番組だったのは間違いないようです。



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祝! ロトで6ミリオン! [雑記帳]

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いえいえ、私ではありませんよ。

会社が入ってる、コンドの管理事務所長が、見事当てました。

賞金額は、6ミリオン(約1200万円)余りだそうです。


先日、こういう記事を書いたばかりですわ。

http://moimoi7777777.blog.so-net.ne.jp/2012-09-22

名前を、J氏といいますが、いやはやラッキーでしたね。


早速、事務所の人間10人に、一律10万ペソづつ上げたそうです。

100万ペソ(約200万円)ですな。

いよっ、太っ腹!(笑)


私には?

貰える訳が、ありやせんや。(涙)

廊下ですれ違った時でも、そういう話は聞きませんでした。


只、いつもは無愛想な彼が、にこやかに笑っていましたね。

その彼ですが、実は華僑の末裔です。

財産も元からあり、違う商売もしたり、かなり裕福らしいですわ。


そうなんですよ。

お金のある所には、お金が自然に集まるのです。

このような現象を、『類は友を呼ぶ』、と言いますな。


反対に、私のような、その日暮らしの邦人はどうなのでしょうか?

『貧乏暇なし』とか、『貧すれば鈍す』、などと言うのですかねえ・・・(号泣)

まあ、その事は置いておきましょう。


最近、身の回りにこういう人が増えています。

先日は、私の会社のスタッフの友人(私も顔見知り)がテレビに出て、1ミリオンの現金と、家と車を

貰いました。


又、嫁のおばさんが、長いこと香港で冥土さんをしていたのですが、雇い主が死去する前に、世話

になったと、約200万円呉れたそうです。

人には、親切にするものですな。


このように、良い話を聞くと、どうしても期待を持ってしまいます。

次はきっと、私だろうと・・・

皆さん、そう思いませんか?(爆)



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ピーナとの結婚 『俺は家族ぢゃないの?』 Another [雑記帳]

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以前書いた記事の方とは、別件です。

この方も、私にメールをされてきました。

内容は、前回の方ほど、深刻ではありません。


この方が言われるには、隠し子も隠し旦那も居ないそうです。

奥さんは、8人居る兄弟の一番年長、つまり長女だそうでした。

結婚されて、まだ4年と少し・・・


お子さんは、まだ居ません。

最初の1年は、仲睦まじく暮らしておられたそうです。

ところが、3年前に、『オンドイ』、『ペペン』、という名前の、スーパー台風がマニラを襲いました。


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9月と10月に、立て続けにやって来たこの2つの台風ですが、被災者1,000万人,死者900人以上の

甚大な被害をもたらしました訳です。

奥さんの家族は、ブラカンに住んでいて、この被害を蒙りました。


この時は、家は水浸しでしたが、家具や電気製品の一部だけが壊れる程度で済んだそうです。

『家の損害が、それくらいで済んで良かったね。』

旦那さんは、何気なく奥さんにそう云いました。


さあ、これが事件の発端です。

『何が、それぐらいよ、私の家族大変だったよ、あなたにそれ分からないか・・・?』

旦那さんは、それを聞いて驚きました。


沢山の人が家を失い、命を失ったニュースは、日本でも見る事が出来たので、その被害に比べたら

まだ良かったね、という積りで言っただけなのですが、奥さんは、そうは受け止めなかったようです。

ここから、言い争いが始まりました。


旦那さんは、最初は言葉の理解不足で、奥さんが勘違いをしていると思ったそうです。

良くある、言葉の壁ですね。

で、最初は柔らかく、奥さんを諭(さと)すように、こう言われました。


『いやあ、この台風で沢山死んだし、家を亡くした人も沢山だったでしょ、それに比べたら、あなたの

家は、まだ良かったねと言ってるだけだよ。』

それを聞いた奥さんは、余計に激昂してきてこう云ったそうです。


『他の人なんか関係ない、私はわたしの家族だけ心配してる、でも、あなたは私の家族心配してな

い、何で他の人の心配なんかするの?』

彼は、この言葉には反発しました。


『何を言ってるんだ、大勢の人が死んだんだぞ、少しはかわいそうとは思わないのか?、お前の家族

は無事じゃないか、被害だって少ないだろう、もっと他人のことを考えろ!』

少し興奮気味になって、旦那さんもこう云いましたが、奥さんも負けてはいません。


『あなたは、フィリピンのこと何もわかってない、私のこともわかってない、だってあなたは、私の家族

じゃないだから・・・』

そう言い捨てると、寝室に閉じ篭ってしまわれたそうです。


後に残された旦那さんは、呆然としてしまいました。

それから、夫婦関係が思うように行かず、家庭内別居に近い状態で、現在に至って居られます。

あまりの考え方の相違には、ついて行けないとも言われて居ますが、彼は過疎農家の長男・・・


まだ、35歳という若さです。

奥さんは28歳で、歳はそんなにも離れていませんね。

農家の仕事も、嫌がらずに真面目にしてくれますし、その面では彼に不満はありません。


仕送りもしているそうですが、その額にも問題はないと言われていました。

しかし、跡継ぎを得ねば、彼の家系は絶えてしまいます。

『早く、関係を修復したいのですが・・・』


そう考えている彼ですが、一体、どうすれば良いのでしょうね?

私にも、何とも言えません。

良い、アドバイスが浮かばないのです。


では、どう乗り越えれば良いのか?

既に、何度も話し合いはしたそうですが、平行線のままです。

間に人も入れて調整しましたが、不調に終わりました。


こんな相談は、初めてです。

なので、公開の要望がありました。

最終的には彼が決断しますが、皆様の御意見を宜しくお願いします。


☆:他人様のコメントへの批判は、即刻削除させて頂きます。
   人の意見は、尊重しましょう。



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日本人とフィリピン人、悩みはここまで違う・・・? [雑記帳]

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人間は、何故悩むのでしょうか?

な~んてことを、ここで言うつもりはありません。(笑)

しかし、この国で日本人として暮らしていると、日本人ならではの、ストレスを感じることがあります。


つまり、日本人であるが故に、引き起こる事態を憂うのですね。

では、実際にどういう所が、憂鬱になるのでしょう?

一般的に言われるのが、先ず、足元を見られて、値段を高く言われることでしょうね。


日本人は、これを極端に嫌いますな。

タクシー然り、市場で物を買う時なども、必要以上にピリピリ来るようです。

でも、それくらいならまだマシですわ。


日本に、まだ住んでいた時のお話です。

ある友人が、『もう駄目だ、結婚できない・・・』と私に泣きついてきました。

理由を聞くと、何とこういうことです。


これから、フィリピーナと結婚するのだが、彼女がそれの条件に、両親に家を建てて欲しいと言って

いるとのことでした。

友人は、しがないサラリーマンです。


結婚しようとしていたくらいですから、結婚費用くらいはあるでしょうが、家と言ったら話は別ですね。

そうは、簡単には買えないでしょう。

単純に考えれば、こういう条件の結婚なら、するべきではありませんな。


勿論、私はそう言って反対しました。

しかし、それを聞いても、友人は諦めきれません。

何とか、相談に乗ってくれと言われたので、仕方なく、私は乗ることにしました。


では、ということで、私が友人に代わって、彼女に電話をしてみました。

もしかすると、お互いの意思の疎通が上手く行ってない可能性もあったからです。

暫く電話で話しをしていましたが、何とも驚くべき内容でした。


少し、理解し難い内容でしたが、彼女には、彼女の言い分があったのです。

要約して、ここで述べましょう。

あまり、驚かないで下さいね。(苦笑)


彼女の実家の家の周りで、日本人と結婚している所の家は、全て新しく建てて貰っている。

自分の家だけ建てて貰えないのだったら、家族が近所に対して恥ずかしい思いをする。

なので、家を建てて貰わないと、結婚ができない・・・


そういう理由でした。

結論から云えば、友人はこの結婚を諦めましたね。

到底、今直ぐ叶う話ではありませんし、将来の話にしても、約束などは出来る筈もありません。


正解だったと思いますがが、これも日本人であるが故の、悲劇だったような気もします。

日本人というブランドが、この国では高く評価さているのは間違いありません。

幾ら、皆がそうじゃない、違うんだよと、色々な方に説明しても、信じて貰えずに居ます。


では、話を変えて、フィリピン人の悩みのお話をしましょう。

私が以前、仕事上で付き合ったことのあるT氏は、UP(フィリピン大学)卒で、同大学の教授を

勤めた後、労働省に入り、大臣の秘書をしていました。


その後、コンサルタントとして、数々のビジネスを成功させ、財産も相当にありましたが、その彼

が、常々私に愚痴をこぼしていたのです。

『日本人はいいよなあ、だって色々な国にビサ無しで行けるし、必要でも手続きが簡単だ。』


そう言う彼は、その頃、イギリスに行こうとしていました。

しかし、中々ビサの許可が出ません。

やれ、招聘状を出せの、あれが足りないこれが足りないなどと、大使館がうるさいらしいのです。


彼は、こう言いました。

『これが日本人だったらねえ・・・』

日本人なら、こうまで苦労する必要がないだろうと言うのです。


『フィリピンは、国の信用度がどうしても低い。』

『日本人や欧米人にから比べると、3段階位評価が落ちるからなあ・・・』

そう言って、彼は嘆いていましたね。


比国内では権威があっても、国際的評価になるとこんなもんだよと、彼ががっくりと、肩を落として

いたのを思い出しました。

エリートフィリピン人の、国のランクが低いことへの苦悩。


一方、日本人というブランドが故に、結婚出来なかった私の友人。

本当に、おかしな話ですわ。

人は、その生まれた国の都合で、悩みを、それぞれ抱えるものなのですね・・・



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宇宙戦争が終結しましたわ!\(~o~)/ [雑記帳]

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昨夜、義妹が義弟のもとに帰りました。(嬉)

17日間の長い戦いでしたが、勝利したのは義妹(いもうと)でした。

義弟(おとうと)は、義妹の講話条件を、全て飲んだのです。(涙)


これで、我が家の平和も保たれることになりましたが、こんなもんですねえ・・・

多くのフィリピン人夫婦でも、妻のほうが強い家庭が多いような気がします。

で、講和条件ですが、そこはやはりフィリピンですわ。


義弟は、賠償金を払わされました。(笑)

買い物代金として、取り敢えず5000ペソ。

義妹は、昨日お金を受け取ると、バクラーランの安市で、しこたま買い物をしたそうです。


後は、毎月の生活費の値上げと、あの病気のような浮気をしないことが条件ですな。

まあ、単純で良かですばい。

『旦那からの要望はないのか?』


私がそう聞くと、妹は首を振って、『何もない』と言います。

これで、本当にええんかい?

私には、納得できません。


『では、私から条件を言おう!』

ついつい、要らぬおせっかい発言が出ました。

『旦那と子供の面倒をちゃんと見ろ、ネットに集中するな、次回又喧嘩してもここに来るな!』


少々きつ目に云いましたが、義妹は、『テヘヘ』と笑ったまま、我が家を後にしました。

まあ、仲良くやって下さいよ。

私は、そう祈るばかりです。

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当然、義妹からは、感謝やお詫びの言葉はありませんでした。

姉である嫁も、それについては何も云いません。

どうも、結局仲介役に回った、私の一人負けだったようですわ!(瀧涙)



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『同情するなら押してくれ!』(爆)

角じいが逝く・・・『ある邦人の末期(まつご)』 [雑記帳]

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享年82歳でした。

昨日、その訃報を受け取りましたが、正に波瀾万丈の人生を送られた方のお話です。

名前に角が付くので、私は角じいと呼ばせて頂いておりました。


勿論、こっそりですが・・・(笑)

日本では、以前会社の経営をされていたようで、かなり豪快に遊ぶ人だったようです。

例えば、こんな話を本人から聞きました。


クラブに行き、女の子達を集めると、明日から香港に行くが付いてくるかと聞いて、手を挙げた女の

娘全員を、その旅行に連れて行ったというのです。

本当かどうかは、分かりません。


何でも、同じ角が付くというので、若い頃、田中角栄さんに可愛がられたとも、言われていましたね。

しかし、フィリピンに来るようになってから、転落人生が始まったようです。

彼とは、私の知り合いである、Fさんの紹介で知り合いました。


その頃彼は、ある会社の、顧問のようなものをやっていましたね。

その報酬で、内縁の妻に、サリサリストアを経営させていましたが、何しろ経営自体が放漫です。

売上は、全部家族の飲み食いに消えていました。


又、週に数回は、店の商品を、親戚中がかっさらいに来ます。

当然、商品は早く無くなるのですが、そしたら又、彼の報酬で商品を買って補充するという、不思議

な商売をされていましたね。


本人は、商品の回転が早いといって喜んでいましたが、はっきり言って、商売をしないほうが、余程

お金は残ったと思います。

会社から、毎月10万ペソ貰っていたらしいですが、一家5人程度の家なら、それで充分でしょう。


まあ、内縁の奥さんが、どうしても商売をやってみたかっただけのようですが、それにしても、お粗末

な経営であったとしか言いようがありません。

しかし、そのサリサリも長くは続きませんでした。


1年も経たない内に、角じいが顧問をやっていた会社が撤退し、彼は無収入になったのです。

そうなると、直後に困窮生活が、彼の一家を襲いました。

一家とは云いましたが、全部内縁の妻の血縁者ばかりで、彼の血の繋がった人は居ません。


全てが、彼の報酬頼みだった家計ですから、凄まじい勢いで貧乏が襲って来た訳です。

電気は止められ、日々の食事も、3度から2度になりました。

それでも彼は、日本に帰国しようとはしません。


帰国しても、何処も受け入れてくれる所が無いというのです。

よく聞く話ですが、彼も、その中の一人だった訳ですね。

おまけに、最後に入国して以来、比国のビサも、延長をしていませんでした。


つまり、不法滞在だったわけですな。

しかも、2年間だそうで、これには私も驚きました。

お金がある時に、延長をすれば良かったのでしょうが、彼はそれを怠っていたらしいのです。


何でも、報酬は全部内縁の妻に渡すのが先決で、ビサなどはお構いなしだったようですね。

Fさんも、何とかして帰ったらと云いましたが、、この角じい、相当な頑固者です。

例えお金があっても、日本には帰らない、いや帰れないの一点張りでした。


それから、約一ヶ月後・・・

角じいは、毎週、私とFさんの職場に来るようになりました。

無収入なので、仕方がありません。


私とFさんとで相談をして、毎週決まった日に、お金や食料を渡すことにしたのです。

角じいは、その僅かなお金ですら、家に帰ると全て奥さんに上げていました。

それでも、家族の中で、一番粗末な食べ物しか与えられなかったようです。


段々と、角じいの肩身は狭くなって来たことに加え、家庭での、待遇の不満も高まって来ました。

こうなると、彼の気持ちが、帰国に近づいて来たのは、言うまでもありません。

その内に、日本へ帰りたいと、ぽろりと漏らすようになりました。


それを聞いたFさんは、急いで大使館に掛け合って、入管に申し入れをして貰ったのです。

入管で、角じいの名前をブラックリストに記載して貰い、晴れて強制送還の処分になりました。

こうすれば、拘束されたり、罰金を払ったりする必要がありません。


でも、強制送還と言っても、飛行機代は自分持ちで、それは私が工面しました。

彼が帰国して一年半、その間に、一度も電話を貰ったことはありませんでしたが、何となく生存情報

は、色々な所から聞こえて来ましたね。


どうも、こちらに戻って来たかったらしく、入管のブラックリストの記録を、幾ら出せば消せるのかを、

知人に聞いていたようでした。

聞いた所で、払えるような金額ではありません。


結局は、諦めざるを得なかったことでしょう。

でも、内縁家族には、少しづつでも仕送りはしていたようです。

帰国前には、家での待遇の悪さを、あれだけ愚痴っていたにも拘らずにでした。


しかし、その彼も、今は仏様になられています。

彼の魂は、今はこの比国に来ていることでしょう。

恐らく、喜び勇んで・・・



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角じいの、ご冥福をお祈り致します!(合掌)

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