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タガログ語検証 『Maligayang Pasko(メリークリスマス)を考える』 [検証]

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ははは、とうとう禁断の語句に手を付けようとしています。(汗)

単なるメリークリスマスという意味だけの言葉なのに、この国では結構重たい意味を持ちますよね。

ほんの15年程前では、更に更にこの言葉が重たかったような気がします。


それは、一体何故でしょう?

まあ、はっきり言って痛い出費ですわ。(笑)

知り合い縁者なら兎も角、見ず知らずの人からも、パマスコ(クリスマスのお小遣い)を要求されます。


弱者は、強者から施しを受けるのは当然だというような、考え方を根底に持っているようですな。

又、強者(生活的)も、弱者には施しをすべきと信じて疑わないようです。

なんだかんだと言いながら、路上生活者が生活していけるのも、これらの恩恵なのかも知れません。


強者弱者の関係は、身分制度を産み格差社会を産みましたが、以前に比べ、人材の海外流出によっ

て、中産階級人口が拡大して来ました。

要するに、強者を頼らなくても、自活していけるようになったわけです。


『喉元過ぎれば熱さを忘れる』、と世間様ではよく申します。

貧しさを克服した彼らは、徐々に『苦しい時の神頼み』を、忘れて来たに相違ありません。

ここ近年では、あらゆる機会に教会を訪れる人々が、減少して来ているようです。


手っ取り早く、モール内などにある礼拝堂でお祈りを済ます信者が増えたのですな。

でもまだ、祈りを捧げるだけましでしょう。

最近、教会に行ったことが無いよというフィリピン人が、私の周りにも沢山居るので驚きました。


フィリピンカトリック教会では、これらのことを嘆いて、もっと教会に来るよう声明を出しましたが、これ

ばかりは如何ですかねえ・・・

物質的豊かさに目覚めた彼らには、既に、教会で祈る理由が無くなったのかも知れません。


年々、クリスマスが形骸化されてきているのを見ても、昔ほどの有難味が感じられないのでしょう。

精神的充足感よりも、物質的充足感が優先されて来ているのですから、祈りよりも消費に目が行く

のは当然ですね。


所詮、宗教とは神と自分との一対一の対話ですが、語るべき自分が一方的に退場してしまっている

のですから、これでは宗教は成り立ちません。

神離れが加速してきているのも、やむを得ない話でしょう。


但し、クリスマスを家族で過ごすという風習までが、破られて居ないのだけは救いです。

形骸化されてきているとはいえ、クリスマスはやはりこうでないと行けませんわ。

以上、髪ばなれが益々禿げしい、私からの独り言でした!(爆)



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タガログ語検証 『Galit(怒り)を考える』 [検証]

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フィリピン人は、世界で一番感情を表に出す民族らしいですな。(笑)

真偽は兎も角、確かに喜怒哀楽をはっきりと顔に出す人が、身近にも多いのは確かなようです。

まあ、喜ばかりなら良いのでしょうが、怒(Galit)はいけません。


逆恨みも、この国では当然のように発生しますね。

感情を抑制出来ないのなら、それも当然の事です。

反対に、世界で一番感情を表に出さないのはシンガポール人らしいですが、それも考え物ですわ。


一体何を考えているのかが分からないのは、人間にとっては不気味です。

ましてや、商取引の相手先ともなれば、したたかで手強い相手となるでしょう。

その点、我がフィリピン宇宙共和国は、分り易いのが良いですな。(笑笑)


商談でも、壺に嵌まれば、必ず心を開いてくれます。

が、一旦感情的なってこじれると、修復は容易では有りません。

『水に流す』、という言葉は、もしかするとこちらでは死語に近いです。


『人を赦す』という行為は、カトリックの教えでは無かったでしょうか?

勿論、些細な事では赦しても貰えますが、その許容量を超えた所で大爆発を起こします。

つまり、感情をコントロールする頭の装置の許容量が、他の民族に比べて小さいのでしょう。


ストレートなのは、個人的には好感が持てます。

ですが、時によりけりですよ。

感情剥き出しのままの生活では、少し疲れて来るような気がします。


ましてや、外国人(私のような)との結婚であれば、尚更でしょう。

そうなると、こちらから折れるしか有りません。

相手より、少しは感情をコントロール出来ます。


こういう苦労は、いつも絶えませんね。

で、私は一体何が言いたいのか・・・

我が家の平和は、詰まるところ、全て私の努力の賜物なので~す!(爆)

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タガログ語検証 『Sayan(勿体無い)を考える。』 [検証]

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『Sayan(サーヤン)』という言葉は、しょっちゅう耳にします。

勿体無いという意味ですが、時に理解の出来ない言葉に聞こえることもありますな。

例えばホテルなど、料金さえ払ってしまえば、照明やエアコンはつけ放題と考えます。


こまめに消そうとすると、『なんで消すの、ちゃんとお金払ったでしょ、勿体無い・・・』

こういう、信じられないような言葉が返ってきます。

ここでは、エネルギー資源問題などは、論議の対象ではありませんね。(笑)


レストラン等でプロモが有り、ライスおかわり自由などと言う謳い文句を聞くと、食べもしないのに、

人数分をオーダーをする我が社のスタッフがおります。

『食べられないから、頼んだら勿体無いよ。』


そう私が言うと、『だってSir,無料なんですから、頼まないと勿体無いでしょ?』

『・・・・・・・』

そう言う限りには、食べるのかと思いきや、案の定誰も食べずに、人数分のライスは放置状態。


資源の無駄も、ここまで来たら国宝級ですわ。

ゴミのポイ捨ても、清掃する人を私達の税金で雇っているのだから、捨てないと勿体無いと考えて

いるのかと、疑いたくなりますな。


現に、私の知り合い(フィリピーノ)も、ゴミを捨てる人が居なくなると、清掃する人の雇用が無くなって

しまうと、語ってくれた事がありました。

何か、本末転倒ですね。


モラルが変わらない限り、この『サーヤン』の意味も変わらないでしょう。

先ずは、地球人としての立場の自覚を持つべきですな。

あ、でもこの国は宇宙でしたっけ?(爆)



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『アバウト(いい加減さ)を考える・・・』 [検証]

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付き合っている層の人々にも依るのでしょうが、結構、この国の人々はアバウト(いい加減)ですね。

まあ、表現を変えて言うなら、大らかとでも言っておきましょう。(笑)

時間の感覚もそうですが、日本人には理解が出来ない事が多過ぎますな。


一々、これに腹も立てられませんが、仕事上どうしても困ることがあります。

特に困るのが、安請け合いをされることですね。

『これは可能ですか?』、と聞くと、『ああ、大丈夫ですよ』、と答える人の多いこと多いこと・・・


ある意味、これは慣れるしかないのかも知れません。

よく聞くのが、『相手をがっかりさせまいと思う気持ちで悪意はない』、という言葉ですが、たとえそうだ

としても、ビジネスの世界ではどうなのでしょうね?


信じたがために商談が不成立というケースなど、この国には掃いて捨てるほどあります。

出来ると言われた以上、他に頼む訳にもいかず、ずっと待っていても、何もしてくれてはいなかった。

これにキレたりすると、向こうは予想外の反撃をしてくることでしょう。


口約束など、反故にも等しいのです。

まして、頼まれたことさえ忘れているのかも知れません。

面倒でも、契約文書に明記したり、覚書にでもサインが必要でしょう。


これが友達同士の約束事なら、リスクは覚悟でお願い出来ますが、ビジネスでは通用しません。

本当に約束の守れる人かどうかの、見極めは大切なことです。

全員がアバウトという訳ではないので、信頼出来る人との付き合いは、徹底的に大事にしましょう。


さて、ここからが本題です。

アバウトなのは、何もこの国の人だけのことではありません。

東南アジア各国など、南国には往々として有りがちな事ですね。


日本には、厳しい冬があります。

豪雪地帯などでは、毎日の雪掻きが欠かせません。

それを怠ると、死を迎えることになります。


そうなると、常に生死と向き合いながら、暮らしているということでしょう。

規律よく生活するということは、冬のある日本では、必要不可欠なことなのかも知れません。

『春眠暁を覚えず』、という諺は、厳しい冬を乗り切った人々への、ご褒美のようなものですね。


一方、この国ではどうでしょう?

取り敢えず、凍え死ぬような事は無さそうですね。(笑)

仕事がなければ、ずっと眠り続けることさえ出来るでしょう。


大らかさは、南国特有の長所でもありますが、時にはそれが足枷になりそうです。

明るさは、私達を和ませてくれますが、少し彼らの将来が気になりますな。

どちらにしても、アバウトは売り物にはならないようです。

タガログ語検証 『Kawawa(可哀相)を考える。』 [検証]

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『アコ カワワ ディバ?』

これほどよく耳にする言葉も、珍しいですねえ・・・(笑)

ご多分に洩れず、飲み屋で主に使われる言葉ですわ。


『私って可哀相でしょう?』、と言う意味ですが、良くぞまあ、自分で自分のことを、こう言えるもんだ

なあと感心してしまいます。

まあこれも、一つの挨拶程度のものなのかも知れませんが・・・


しかし、同情でも引こうとするのか、この言葉を発する時は、真っ直ぐに相手の目に自分の目を合わ

せ、期待度100%の眼差しで立ち向かいます。

普通の男は、この言葉に弱いのですよねえ~(苦笑)


何が可哀相なのか分からないまま、いつの間にか、財布の紐を解いている自分が居たりします。

まっ、『鴨族』の人は、これで良いでしょう。

ですが、『ケチ族』の人は、そうは参りません。


LDも、出来るだけケチろうとしているこういう客には、この眼差しも通用しませんな。

私のような、『無い族』に至っては論外です。(血涙)

『暖簾に腕押し』『糠に釘』と、女の娘は、無駄な努力を続けなければなりません。


余談はさて置き、ではどうして、簡単に自分が可哀想と言えるのでしょうか?

これは、一種の弱者意識かも知れませんな。

歴史的に、統治はされても、他の国には、一度も侵略に走ったことのない国です。


搾取される立場の人々にとって、搾取する側には、反発や憎しみがあったでしょう。

やがてその感情は、搾取側、つまり持てる者(裕福な者)から、金品をふんだくるのは悪では無い、

という感情に変わって行っても、不思議ではなかったと仮定します。


弱者ゆえに、略奪が許される行為だと考えられてでもいたら、裕福な人は堪りませんな。

とことんまで、毟り取られてしまわねばなりません。

裕福は、裕福がゆえに罪だとでも云うのでしょうか?


今現在裕福な人が、これまでにどういう努力をして来たかとか、どういう社会貢献をして来たとかは、

弱意識を持つ人々にとって、全く関係がないのです。

富裕者に支配され続けて来たという憎しみだけが、DNAとして残ったのかも知れませんね。


前回、マバイット(優しい人)はお金を呉れる人と書きましたが、逆にお金を施そうとしない人は、悪

そのものと考えられているのだとしたら、多くの外国人がセットアップにあったり、身ぐるみ剥がされ

たりする理由が、分かるような気がします。


はい、ではここで、上記の意見に、私が自ら反論してみましょう。

例え、弱者意識が大衆の心根に浸透していたとしても、彼らはこれ迄に、多くの困窮邦人を助けて

いるではないか。?


奥さんや恋人に、全財産を取られて日本に帰れなくなった邦人を、現地の人が世話をして、寝る所

や、食べ物を上げているニュースは、しばしば目や耳にします。

これは、この邦人達が、彼らが同情するに値すると判断したからでしょう。


弱者意識も勿論あるにせよ、もっと濃厚なのは、弱者ゆえの横の繋がりですね。

所謂、パキキサマ(相互扶助)ですな。

フィリピン人は、文化として、『人を許す』という行為に長けています。


昨日はお金持ちでも、今日が貧乏なら、それを助けると言うのが心意気なのでしょう。

終戦後、最も早く、日本という国を赦したのもこの国ですね。

それは、日本が沢山援助したからだという人も居ますが、決してそれだけではないでしょう。


彼らは、死者にまでは唾は吐きません。

裕福なものには、嫉妬を抱いたり貶めたりしても、一度没落した者には、暖かく迎えて呉れます。

私が移住後、困った時に、助けて呉れたのもこういう人達ですね。


話が、大きく逸れました。

話をまとめましょう。

飲み屋で働く人はカワワでも、飲み屋に飲みに行く人はカワワではありません。


同じ人間同士ですが、立場が違います。

そこら辺をわきまえて置かないと、騙した騙さないが生まれてしまいますな。

さあ皆さん、今日も愛する女の娘のために、LDをどんどんご馳走して上げて下さいね!(爆)



タガログ語検証 『Sinungaling(嘘つき)を考える。』 [検証]

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今日の話題は、定義が難しいですな。

この国で、『嘘つき』と云う言葉は、余りにも奥が深いです。(笑)

書いてしまったら、どうも誤解をされそうですな


まあ、折角書き始めたのですから、話を続けていきましょう。

ちなみに、写真はマニラ市長のリムさんです。

実際に、こう喋ったのかどうかは分かりませんが、この人ならではの口の汚さですな。(苦笑)


『おいお前、オカマだけだと思ってたら、嘘つきでもあったんだな!』

意訳すれば、こうなるのかも知れません。

さて、日本で嘘つきといえば、この方達でしょう。

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ははは、余談が長くなりました。

日本の政治家は置いといて、フィリピン人の嘘について検証してみましょう。

人が嘘をつく時、多少の罪悪感が伴うものだと思うのですが、ここでは必ずしもそうではないようです。


フィリピン人の嘘には、相手を思いやる嘘もあるようですな。

良くある話ですが、道を尋ねられた場合、知らないというと相手に悪いと思い、出鱈目でもいいから

取り敢えず教えてしまう・・・


な~んて書くと、お前は馬鹿かと言われそうですね。(苦笑)

『知らないというと、自分のプライドが傷つくから、いい加減なことを云うだけだよ!』

確かに、こういう反論はあるでしょう。


但し、あそこまであっけらかんに嘘を教えられては、そうともだけは言えないようです。

この国に在住して16年間の間に、私は一体、どれだけの嘘を吐かれてきたでしょうか?

きっと、星の数ほど、嘘を吐かれたことでしょうね。(笑、笑)


しかし、それらの嘘が、全て悪意のある嘘だとは思えません。

やはり、明らかにこちらを気遣って吐いている嘘も、沢山ありました。

それくらいの嘘など、恐らく彼らにとっては、挨拶代わりなのでしょう。


まあ、日本人は潔癖すぎるのですな。

『嘘』とか『騙される』とかいう言葉に、敏感に反応してしまいます。

では、そういう意識は、どうやって形成されたのでしょう?


その殆どが、KTVなどの飲み屋で形成されたと言っても、過言ではないようです。

それも、お金絡みの、いざこざの挙げ句の果てですね。

この件については、過去にも何度か取り上げてきました。


所詮、嘘が平気で飛び交う飲み屋さんでの話ですぜ。

真に受ける方も、どうかしているのでしょう。

女性の方は、家族の生活のためには平気で嘘をつきます。


本当に惚れない限り、嘘は突き通しますね。

男性も、然りですな。

充分にわきまえている人は、どうにかものにしようと、ありとあらゆる嘘で女性を篭絡しようとします。


女性も、それにころりと参って、身体を許してしまうケースが跡を絶ちません。

その結果がどうなったかは、先日の記事に書きました。

お互いに、仮恋愛の場ということを、忘れてしまっているのでしょう。


飲み屋という場の、嘘の約束などは、信じるほうが間違いです。

こう書くと語弊があるかも知れませんが、どうしても純恋愛の場として飲み屋を捉えた挙句、そこで

の嘘を、真(まこと)ではないと一方的に責めるのは、どうも一方的なような気がしてなりません。


本当に好きになったのなら、嘘も全部ひっくるめて好きになれば良いでしょう。

結婚してしまえば、多かれ少なかれ、家族の家計を、助けねばならないケースも多々あるのです。

女性の打算(結婚を決意するなど)を引き出すには、男の予算が定まっていなければなりません。


予算の腹積もりが出来ていない男ほど、騙されたと言っては嘆くのです。

この話も、この間書いた、『鴨族』、『ケチ族』、『無い族』の話に共通しますね。

『女は打算、男は予算』、是非覚えて置きましょう!(爆)




タガログ語検証 『Kuripot(ケチ)を考える。』 [検証]

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日本人は、何故かこう言われると、嫌いますな。

若しかすると、KTVなどで、女の娘に言われたくない、NO1の言葉かも知れませんね。(笑)

今日のKuripotは、昨日のMabaitと比較して、ほぼ反義語と言って良いでしょう。


oi oiさんが、コメントでこういう方のブログを紹介してくれました。

http://blogs.yahoo.co.jp/barnabaseriko/22912424.html

その場の親切(Mabait)が、仇になったお話ですね。


お金が、如何に人を狂わすかは、過去にも散々述べてきました。

http://moimoi7777777.blog.so-net.ne.jp/2012-05-22-2

優しさとは、何も金品を施すことだけではないでしょう。


しかし、『優しさ』=『施し』と言う定義が成り立つのであるならば、『施しをしない人』=『ケチ』という

定義が成り立ちますな。

この国で、それが顕著と云うことになれば、日本の『ケチ族』は戸惑うでしょうなあ・・・


ケチだけど女の娘にモテたい人は、何を削ってでも、そこに資金を投入します。

格安の航空機に乗り、格安のホテルに泊り、格安の食事をしなければなりません。

でも、女の娘と一緒の時は、そうはいきません。


ホテルは兎も角、食事だけは見えを張って、和食や焼肉に連れていかねばならないでしょう。

そうして、自分でも普段食べたことがないような食事をして、女の娘を口説くのです。

一方、『鴨族』は、どうでしょう?


中小企業のオーナーであるとか、出向で来ている、大企業の部長とかがこれに当たりますな。

こちらは資金が割りと豊富で、お金の使い方も大らかです。

『ケチ族』とは違い、ビジネスクラスで来比し、ホテルも、そこそこ良いホテルに泊まりますね。


食事も、普段食べ慣れているものよりは、一ランク上の物を頼むでしょう。

たまの外国旅行です。

ケチケチする必要は、ありませんがな。


出向者もそれに然りですが、女の娘に対しても豪快ですぜ。

携帯を無くしたと聞けば、バンバン買い与え、親兄弟が病気の時は、個人ODAとしての資金力

を発揮します。(爆)


『ケチ族』は、所詮、『鴨族』には敵いませんよ。

あっ、ここで注意書きです。

『ケチ族』とは、決してお金のない人を指しているのではありませんよ。


預金はあるものの、それを取り崩さずに、上手に遊ぼうとしている人達のことです。

一方『鴨族』は、資金力が豊富な余りに、度が過ぎる場合が多いようですな。

それこそ、女の娘を駄目にしたり、その家族までを不幸にしてしまう事が、少なくありません。


例え、女の娘の争奪戦で『鴨族』が勝ったとしても、結婚して上手く行くのは『ケチ族』の方でしょう。

極度のケチではお話になりませんが、お金の使い方を教えて上げられるのは、『ケチ族』ですね。

話が、大きく逸れたかも知れません。


いつの間にか、『鴨族』VS『ケチ族』の、戦いのお話になってしまいましたね。

軍配が、どちらに上がるのかどうかは分かりません。

だって私は、『無い族』なのですから・・・(瀧涙)




タガログ語検証 『Mabait(優しい)を考える。』 [検証]

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十数年前のことです。

移住後、少ししてからの話ですな。

前妻の妹が、私にこう云いました。


『今、そこのバランガイホールに、今度の選挙の立候補者が来てるよ、食べ物や、困っている人には

お金も呉れるんだって、優しいねえ義兄さん!』

『はあっ・・・・・?』


当時の私には、何が何だか飲み込めませんでした。

彼女は一体、何が言いたかったのでしょうか?

お金を呉れる=優しい・・・


選挙=お金では、これは悪ですね。

物をあげるのも、いかんでしょう!

な~んて言うのは日本の常識、当時のこの国では、割と平気で行われていました。


そんなことは、まだ幼かった(それでも15歳)義妹には関係ありません。

彼女は単純に、お金を呉れる人は、親切で優しいと言うのです。

私は、彼女に質問してみました。


『じゃあ、お金を無条件でくれる人は、皆優しいの?』

彼女は、素直にうんと答えます。

これには、少しショックでしたね。


施しを受けることに、全く抵抗が無かったからです。

根底に、相当な弱者意識でもあるのでしょうか?

自分は貧しいのだから、人からの施しは、当たり前に受けれるとでも、思っているのでしょうか?


それにしても、優しいという言葉が、そのように使われるとは、思っても見なかったのですな。

育った環境にも依るのでしょうが、少し情けない思いをしたのだけは確かです。

あれから15年・・・


未だにこの言葉が、自分の心の中で、引っ掛かったままになっている気がしています。

これは、自分で体験したことではないから、理解が出来ないのでしょうか?。

実際に、私がそういう施しを受けたら、その人に優しい人だと言えるのでしょうか?


私も男です。

こうなったら、自分で経験してみましょう。

と言うことで、『優しい人大募集!』(爆)


マクリットとマテガス・ウロはどっちもどっち! [検証]

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マクリット(しつこい)とマテガス・ウロ(頭が固い)と言う言葉は、この国では良く使われます。

私がKTVなどに行くと、女の子からは、『あなたマクリットね~』と言って喜ばれますわ。(笑)

まあ、スケベなおぢさんですので、理由は言わなくてもわかるでしょう。


その、KTVの女の子には、未婚の母が沢山居ますが、その殆どが、妊娠だと分かると男が逃げ

たか、男がマクリットだから嫌になったかの、そのどちらかだと彼女等は言います。

残された子供達こそ、いい迷惑ですね。

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では、一方のマテガス・ウロはどうなのでしょうか?

亀◯が固いのなら歓迎されますが、頭が固いのはあまり歓迎されないようです。

日本で言えば、『頑固者』とでも言うのでしょうが、その性質はまるで違いますね。


一言で言えば、プライドの差でしょうが、こちらの国の頑固者には、あまり根拠がないようです。

日本の頑固者には、『筋を通す』という、立派な立て看板がありますな。

『男の一念岩をも通す』、という諺もあるように、頑固者は真っ直ぐな気質の方が多いのでしょう。


しかし、こちらのマテガス・ウロには、あまり信念というものが見受けられません。

只々、自分の非を認めたくないとか、負けを認めたくないとかの、自己防衛が働いているような

気がします。


では、話は元に戻りますが、私に云わせると、別れた男がマクリットなら、子供を安打製造機の

ように作り続ける女の子こそ、マテガス・ウロでしょうな。(涙)

もう少し、慎重になって呉れませんかねえ。(溜息)


今時、バージンでKTVで働いている娘は、超希少ですぜ。

近年、未婚の母は、益々増加しているように思えてなりません。

性の解放は、ネットの普及も相まって、これからも更に加速していく恐れがあります。


『結婚するまでは、肉体関係を持たない』、というのは、既に過去の話なのですかねえ・・・

昔は、タブーとされてきた教会への短パン姿のお参りも、現在はかなりの数が見られます。

時代も変わってきたのでしょうが、いつになったら、この現象に歯止めが掛るののでしょうか?


考えるだけで、空恐ろしくなりますな。

先日も、某KTVで、女の子にこんな話を聞かされました。。

『クーヤ、私妊娠してるよ。』


『え~、おいらはやってないぞ!』

『違うよ、あなたの子供じゃない。』

『へ~え、誰の子供?』


『私のボーイフレンドの子供。』

『ふ~ん、良かったね。』

『良くないよ、私この子堕ろすする、あなた何処か病院知らないか?』


『知るわけないぢゃん、でも、何で堕したいの?』

『この子のお父さんマクリットよ、まだ私の他に女一杯、だってパルパロでしょう。』

『・・・・・・・・・・』


『私、ここに来るおかくさんと結婚する、でも子供あったら結婚出来ないよ。』

『そ、それで?』

『そうなったら、私可哀相ディバ、クーヤ?』


『は、はあっ・・・?』

私も、呆れましたわい。

ここまでの単細胞は、久しぶりです。


元々、バーチャルな世界の事で、深く気に留める必要もないのかも知れませんが、これほど大胆

な、宇宙的発想も珍しいですなあ・・・(爆)

こうなると、夢も壊れますわ。


彼女はヘルプで座っただけですが、私も、店の客の一人ですぜ。(苦笑)

私がタガログを喋るので、安心して自分を曝け出したのでしょうが、流石にこれでは幻滅です。

学資を得るために働いている苦学生達が、彼女の影響を受けないことを祈るのみですね。



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フィリピンを掘り下げる その2 『強盗、泥棒編』  [検証]

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まあ、ここでは、強盗や泥棒の動機になる貧困については述べません。

あくまでも、物理的に検証したいと思います。

言わずもながですが、強盗や泥棒も命懸けでやってます。

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下手をして捕まったなら、ボコボコにされるくらいで済むでしょうが、一歩間違えば射殺されます。

僅かなお金だけを狙って命を奪われるなら、これは割に合いませんな。

お金を持っていそうな外国人を狙うのは、『人の利』として当たり前のことですね。


その外国人が抵抗しようとするなら、彼らは躊躇わずに銃で撃つでしょう。

捕まったら、地獄が待っていますから・・・

それだけのリスクを背負いながらも、強盗や泥棒は一向に減りません。


これは、検証する必要がありますね。

それでは、強盗や泥棒をする条件として、何が求められるのでしょうか?

先ずは、何を於いても逃げやすいという、『地の利』は大事ですな。


人が多い密集地は、意外と逃げ場が多いものです。

但し、素早く逃げないと、捕まった場合、住民から集団リンチを受けかねません。

バクラーランも有名な強盗泥棒の多発地帯ですが、目の前でボコボコにされる犯人は沢山見ました。


あと、間抜けなポリスがそこには多いということも、『天の利』として好条件ですね。

親友のポリスのダンが嘆いていましたが、彼の目から見てもここのポリスは怠け者の集団だそうです。

そういう彼も、積極的に出勤をさぼっているのを何度も見ましたが・・・(苦笑)


さ~て、これで『天の利』 『地の利』 『人の利』が揃いました。(笑)

バクラーランは、強盗や泥棒から見れば、天国のように豊かな市場です。

私も既に、ここでは3回泥棒に入られ、3回もスリにやられました。


まるで、彼らから見れば、常連のお得意様ですな。(溜息)

殆どが、移住後初期での事件とは言え、よくもまあ彼らに貢献しましたわ。

皆様も、バクラーランにお越しの際は、小銭だけを持ち、出来るだけ汚い格好で来ましょうね!(爆)


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