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フィリピン移住を考える・・・その⑲ 『私の回顧録4』 [移住]

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夜遅くなって、Kがやって来ました。

ボーイは食事が終わると先に帰ったので、トニーだけが部屋に残っていましたね。

トニーはKを見て、『ボス』と呼びます。


まあ、これは別にギャングのボスと言う意味合いではなく、単なる雇い主にも使う敬称ですが、聞いた

当初は驚いたものです。

Kは、トニーの挨拶などそっちのけで、早速、私に仕事の話を持ち掛けてきました。


聞けば、何とかとか言う鉱石(失念しました)を、日本に輸出すれば売れるといいます。

その為には、採掘の権利を買った上で、重機も揃えねばなりません。

それに、投資をしてくれという話でした。


当初の私は、漠然と、マニラで飲食店でもやりたいと考えていました。

Kにそのことを相談すると、大賛成してくれて、何でも手伝うよと言われていたからです。

話しが違うではないかというと、こっちの方が儲かるのだといいます。


『飲食店なんかはいつ潰れるかは分からないよ、何しろ水商売と呼ばれるくらいだからねえ・・・』

平気な顔をしてこう言いますが、確か以前はこう言っていました。

『商売するなら飲食店に限るよ、何せ、人間は食べるものがないと生きていけないのだから・・・』


ともあれ、直ぐに返事をする気にもなれません。

暫く考えると言った私の表情を察したのか、Kはこう言い始めました。

『まあ、飲食店なら場所にもよりけりだな、そう言えば掘り出し物の物件があるぜ。』


『えっ、それは何処にあるのですか?』

私は、身を乗り出してそう尋ねます。

訳の分からない投資の話しより、飲食店の方に絶対の興味があったからです。


Kはにやっと笑って、『明日案内するよ』 と言いながらトニーを連れて帰りました。

次の日の朝、Kは約束の時間に大幅に遅れてホテルにやって来ます。

空港近くに家があると言っていたKは、大渋滞に巻き込まれて中々到着出来なかったと言いました。


先に来ていたトニーの運転する車で、我々は現場へと向かいます。

その物件は、パサイ市にありました。

渋滞だと言っていた道路ですが、気のせいか反対車線も全てスイスイ走っています。


現場に到着して、さっそくその物件を見ますが、内装もよく綺麗な作りでした。

まだ営業中とのことですが、オーナーのフィリピン人がKの友達で、歳のなので引退したいから、店の

権利を人に譲りたいということらしいです。


らしいですというのは、オーナーは不在らしく、店番の女の子しかいなかったからですが、Kは、この店

のことなら、全て自分に任されてると言っていました。

テーブルや厨房機器が全てが付いて◯◯◯万円とのこと・・・


これでは、私が銀行に預けてあるお金と、手持ち金を足してもぎりぎりです。

運転資金が有りませんと言うと、Kが交渉してやるよと言い始めました。

その日はそのままホテルに帰りましたが、次の次の日の早朝にKから電話が掛かってきました。


『おいおい、やったよいい話だよ、あの店のオーナーが入院してさ、手術代やら入院費やらでお金に

困ってるから、こっちの言い値で権利を売るとさ・・・』

『ええ、本当ですか?』


私は、息を弾ませながらそう言いました。

(こんな有利な条件など、多分絶対無いだろう・・・)

私はこう考えて、早々Kに言いました。


『では、◯◯◯万円くらいで良いか聞いて貰えませんか?』

『ああ、それくらいならいいだろう、早速支払いに行くから銀行からお金を下ろしておくといいよ。』

『分かりました、トニーが来たらそうします。』


勿論その当時の私には、この国の法律などというものは知りません。

レストランも、簡単に自分で経営できるものだと思っていました。

Kの言うことにさえ従っていれば、この国で商売しながら生きていけると信じていたのです。


続く・・・


信じて押す者は救われる・・・(爆)
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フィリピン移住を考える・・・その⑱ 『私の回顧録3』 [移住]

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恐らく、こういう夢のような光景を頭に描いて、渡比したのでしょうねえ・・・(苦笑)

空港に到着すると、Kの手下が待っていました。

名前を、トニーと言います。


トニーは、年齢が40歳前後で、少し小太りの男でした。

実は、彼の家には2度訪れたことがあります。

前回と前々回の訪問時でしたが、如何にも人懐っこい顔をした男でした。


Kは、彼は信用できる男だとしてトニーを紹介してくれたのですが、確かに親切で、私の言う事なら何

でも聞いて面倒を見てくれます。

そんな、日本語が少なからず喋れるトニーは、私にとっては貴重な存在でした。


Kは、自分はいつも忙しいから、トニーさえいれば安心だと言っていましたが、それは本当でした。

彼は、何処で何をするにも私に同行し、欲しいものは何でも手に入れてくれます。

夜のお遊びも、彼がいなくては何も出来ない私でしたから・・・


彼の家では、家族にも紹介されました。

特に前回は、子供の誕生日だというので招待を受け、盛大なパーティも経験したくらいです。

敬虔なクリスチャンらしく、彼の家にはあちこちに、十字架やサントニーニョの像が飾ってありました。


私は、それらを見るにつけ、彼への信用度を増していったのは言うまでもありません。

神様を信じているる人間に、悪い人はいないだろうからと考えたからでした。

トニーは、私の荷物をてきぱきと受け取ると、自分の車に載せ、一路ホテルへと案内してくれます。


ホテルは、いつものマビニ方面にある中流ホテルでした。

彼が口を利くと、ここはいつも半額くらいで泊まれます。

懇意にしている旅行社を通じて予約を入れるらしく、その方がずっと割安で泊まれるようでした。


ホテルへ着くと、トニーの相棒のボーイという名の男が待っていました。

この男を見るのは、今回、これが初めてです。

ボーイは色黒で、精悍な顔つきをしていました。


聞けば、ボクシングをやっているようで、喧嘩は中々強いそうです。

『ボディガードになるでしょう』、トニーが笑いながらそう云いました。

私も、(そうかもしれない)と思っただけで、その時は何の気も止めませんでした。


少しワイルドな顔でしたので、反対に頼もしく思えたのも事実です。

暫くして、私が買い物に行きたいと言うと、トニーが付いて来ることになりました。

ボーイは、部屋で留守番するといいます。


ビジネス用に用意したお金は、前回銀行に口座を作っておいたので、既にそこに送金して置きました。

当座の費用として100万円近くを持ってきていましたが、今はフロントに預けるのも面倒くさかったので

ほんのちょっとの間だからと思い、冷蔵庫の見えない場所に隠して出掛けました。


買い物は30分程で終わり、ホテルへ戻った私達ですが、ボーイは部屋にいないようです。

ルームキーは部屋の中に置いたままなので、これでは部屋には入ることが出来ません。

多分、ボーイが持って出たのでしょう。


私は、ボーイの行方が気になってトニーに尋ねました。

『心配要らないね、多分タバコ買いに行っただけよ。』

トニーはそう言いましたが、しばらくすると、本当にタバコを持って戻ってきました。


私は、部屋に入るなり冷蔵庫を開け、現金のありかを確かめました

お金の入った封筒は、確かにそこにあります。

私はほっとすると、『3人で食事に行こう!』と提案しました。


勿論2人とも賛同したので、私は冷蔵庫の中からお金を取り出しました。

そうして、封筒を手にとった瞬間です。

(何かおかしい・・・)


私は、急いでトイレの中に入り、封筒の中身を確かめました。

10万円足りません・・・

もう一度、しっかりと数えましたが、確かに10万円足りないのです。


(やられた・・・)

そう私は思いましたが、これでは犯人が判りません。

冷蔵庫に隠したのは、2人には内緒です。


私達が、買い物に出掛けたのは約30分。

その内、ボーイが部屋の鍵を持ってタバコを買いに行ったのが10分くらいとすると、犯人は外部の者

とも考えられますし、ボーイだと言うことも考えられます。


確かに、部屋の外の廊下では、清掃の人間もうろちょろしていました。

彼らなら、合鍵は持っていることでしょう。

もう、疑えばきりがありません。


全部持っていかれなくて、良かったと思うしかないです。

しかし反対に、何故全部持っていかなかったのだろうとも思いましたが・・・

結局、この件は私の胸にしまって置くことにしました。


Kを信頼していましたし、これからのビジネスにトニーは欠かせません。

その相棒であるボーイを疑うと、折角の信頼関係が崩れてしまうと思ったのです。

10万円は、ホテルの人間が盗んだのだと思うことにしました。


まだまだ不幸は続く・・・


ここを押さないと、続きは見られませんぞ!(爆)
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フィリピン移住を考える・・・その⑰ 『私の回顧録2』 [移住]

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いやもう、ヤケクソですわ!(笑)

皆さんに、あれだけもっと詳しく書けと言われたら、書かざるを得ません。

今迄は、我が身の恥と思い封印して参りました。


もう、恥のかきついでですから、最後の遺言のつもりで、ここに書き連ねることにします。

皆様には、これを『他山の石』として、決して同じ失敗をしないようお願いしますね。

先ずは、日本人絡みのお話です。


当時、別居中の妻(現在は離婚済み)が働いていた会社の社長とは、昵懇の間柄でした。

ある日、その社長宅にお邪魔していた時に、ある人物を紹介されたのです。

Kと名乗るその人物は、フィリピンでタクシー会社を経営していると言っていました。


自らもハンドルを握ることもあるらしく、『この人は、フィリピン人顔負けの運転をするんだよ』と、紹介し

てくれた社長は、笑いながらそう教えてくれました。

何でも、以前社長が渡比の折り、偶然その車両に乗り合わせたらしく、その時意気投合したそうです。


Kは、話が巧みでした。

フィリピンで、私が知らないような話を、沢山教えてくれましたね。

フィリピン人が嫁だった癖に、フィリピンのことを何も知らない私は、次第に彼に傾倒していきました。


何度も繰り返しますが、まだネットが普及していない昔のお話です。

聞くこと全てが、新鮮だったわけですな。

結婚時を含め、数度の渡比経験しか持ちあわせていなかった私ですから、たちまち夢中になりました。


新規の事業をやるので、ここの社長に協力を求めて日本に来ていたKですが、滞在している間に、私は

何度も話を聞きに行くようになっていきます。

Kは、比国でビジネスをしているくらいですから、当然移住者ですね。


移住の魅力を、これでもかという位、私に散々吹き込んでくれました。

私は、半分夢遊病者のように、移住を夢見るようになっていきます。

Kも、全面的に協力をすると言ってくれました。


比国でのビジネスも手伝うと言ってくれましたし、当面の生活の仕方なども細々と教えて呉れます。

移住を決断するまでに3度渡比をしましたが、K若しくは彼の部下が、必ずアテンドしてくれました。

Kは、新たなビジネスへの出資を社長にお願いしていたので、何度か日本も訪れます。


Kと知り合って6ヶ月後、私は移住を決意しました。

別居中の妻に話をしましたが、ケンモホロロに馬鹿にされてしまいました。

彼女は、ここで仕事をしながら、子供を育てると言い張ります。


私は、『もし向こうで成功したら、親子3人で又一緒に暮らそう。』と言うと、彼女は冷たい顔で、『もし、

それが本当になったらね・・・』と、まるで信じていないかのように、そう云いました。

両親にもその話をすると、『もし、そんなことをするのなら勘当だ!』とも言われて仕舞いました。


もう、こうなったら四面楚歌です。

Kからは、いつ移住してくるのかと、矢のような催促がやって来ます。

それまで中立派だった社長は、この頃からKに不信感を抱いていたようです。


Kの持ってきたビジネスの話が、どうも胡散臭いと思い始めたのかも知れません。

私にも、慎重に考えろ、と何度もアドバイスを呉れました。

しかし私には、移住を決める迄の3度の渡比時に、Kにはお世話になった恩があります。


ここで、無碍には移住を断念するとは云えなくなってきていました。

そうして、誰もが反対する中を、私は移住を覚悟してフィリピンに渡って行ったのです。

最悪、2度と日本の地を踏めなくなることを覚悟して・・・


続く・・・


ここを押して、明日の更新を待ちましょう!(爆)
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フィリピン移住を考える・・・その⑯ 『私の回顧録』 [移住]

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思えば、既に20年以上の月日をフィリピンと関わって来ました。

まあ、ここの読者には、それ以上のベテランの方が多数いらっしゃるので自慢できませんな・・・(笑)

移住生活も16年目に突入していますが、思えば、さまざま人間が私の傍らを通り過ぎて行きました。


このブログは、再開してまだ僅か数ヶ月ですが、以前は良く続けていたものです。

フィリピン就労日記』は2007年から始め、2010年で挫折しました。(苦笑)

実は、就労日記とは名ばかりで、変な小説ばかり書いていましたね。


その後、そこで連載をしていた『鉄じいがゆく』という小説を、『フィリピンmoimoiワールド』というブログ

に書き下ろし始めましたが、これも中途で頓挫しています。

私を古くから知る方は、このブログもどうせ直ぐに終わるのだろうとお思いでしょうな。(苦苦笑笑)


書いていた小説でも、完結しているのは『鉄じいがゆく』だけですぜ・・・(汗)

これでは、叱られても仕方がないのですが、性懲りもなく再び小説を書くことを検討しています。

が、まだはっきりとした骨子は決まってはいません。


構想が固まれば、改めて皆様にお知らせします。

さて、この移住してからの15年間というものは、実に色々なことがありました。

当初はタガログ語も英語も出来ず、右も左も分からない状態で移住してきて仕舞いましたから・・・


来て早々に、日本人絡みで全財産持っていかれました。

ど貧困生活を余儀なくされ、1週間を20ペソで過ごしたこともあります。

まあ、15年前の20ペソですから、現在の100ペソくらいの価値はあったかも知れませんね。


大見得を切って移住してきたのですから、親に頼ることも出来ません。

当時は、今では別れた妻とも別居中でした。

その後、日本時代に知り合ったフィリピン人に助けられ小康を得ましたが、再び困窮が訪れます。


そんな時に、別居中の妻の弟が私を訪ねてきました。

どうやら、私を助けてくれたフィリピン人の友人が知らせたようです。

その後、別居中の妻や両親に、私の困窮ぶりがバレて叱られましたが、今更日本へは帰れません。


日本から比国に渡る飛行機の中で、不退転の決意をしたのですから・・・

さまざまな経緯の後、私は仕事を得てバクラーランに住み着きました。

土着の人と仲良くして貰い、言葉も徐々に喋れるようになって行きました。


しかし、その後大変な事実が判明したのです。

当時別居中の妻の名前で取得していたはずの永住ビザが、実は偽物だでした。

仕事でタイに行く用事があったので、ECC(出国許可)を入管に申請した時に指摘されたのです。


思えばこのビザは、先述した日本人絡みの事件の関係者が手配したビザでした。

しかも、料金は相場の数倍・・・

何も知らないということは恐いですが、当時はネットもない状況ですから相場も分かりません。


頼りになるのは、1冊のガイドブックだけ・・・

ここには、こういう日本人が沢山居るとは書いてありましたが、その手口までは書いてありません。

全てを人頼みにした、私の責任ですね。


ビザは、私のお世話になっている旅行会社のFさんが、全てを修復してくれました。

偽物のビザよりも、本物の方がずっと安かったのには驚きましたなあ・・・

しかしまあ、早々に気付いて良かったですわ。


前の妻の名前で取得したつもりだった永住ビザでしたが、正式に離婚が成立した後だったので、現在

の嫁の名前で再取得が可能になりました。

下手に、前の妻との結婚ビザが受理されていなかったのは、不幸中の幸いでした。


色々アドバイスを頂いたFさんとは、現在でもお付き合いが続いています。

うっかりと人を信じて何もかも頼むと、本当にろくな目に遭いませんね。

正しい人を、選択してお願いすべきだと思います。


思えば、最初は無謀な移住でしたわ。

私がここで書いているのは、皆様が同じ目に遭わないよう、転ばぬ先の杖に成りたいと願うからです。

賢明な読者の皆様は、必ず私の失敗を真似しないで下さいね。


さてさて、とんだ恥を晒してしまい、話も長くなりました。

別に、私の事を小説に書く気はないのですが、思わず語ってしまいましたね。(苦笑)

語ればもっと長くなるのですが、今日の所はこれで勘弁しておきましょう!(爆)


ここを押さないのは、勘弁なりませんぞ!(爆)
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フィリピン移住を考える・・・その⑮ 『命の値段・・・』 [移住]

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この国では、命の値段が安過ぎます。

PAL(フィリピン航空)の場合、国際線だと賠償金の上限が日本円で約700万円。

国内線だと一気に下がり、上限でたったの10万ペソだそうですわ。

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これだと、うかうか国内出張など行かれまへんなあ・・・

ぢゃ、バスなら良いのでしょうか?

これが、輪をかけてあきまへんがな。

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(資料:洗濯屋さん提供)

賠償金が、僅か25000ペソでっせ~!

この場合も、大手のバス会社であって、もっと格下のバス会社の場合、無いケースも考えられます。

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交通事故も、遭ったら不幸中の不幸だす。

ジープやトライシケルなどは、保険などまず入ってはいません。

一般車両でも、保険の上限が5万ペソ~15万ペソ位ですから、死んだら死に損ですな。


これじゃあ、死んでも死にきれまへんでえ・・・

海外から来た人は、海外旅行傷害保険に加入できるから良いでしょう。

でも、こちらに移住となるとそうはいきません。


色々な規定で、それらの保険には入れないのが現状です。

例えインチキして入っても、バレれば保険金は出ませんな。

こちらの国の、保険料が高く賠償金額の安い保険に入るしかないようです。

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つまり、何処に行くのでも、何をするにでも、自己責任で行動するしか無いですね。

では、事件や事故に巻き込まれないようにするには、一体どうすれば良いのでしょうか?

分かる人があったら、どうぞ教えておくんなさいまし!(爆)


答えが出ない時は、ここを押して考えましょう!(爆)
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フィリピン移住を考える・・・その⑭ 『フィリピンの電化製品』 [移住]

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この国の電化製品は、単機能的な製品が多いです。

例えば、この炊飯器・・・

只、米の飯が炊き上がれば良いという、当たり前の商品です。

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日本だとこうは行きませんな。

この釜なんか、伝統工芸品で有名な岩手の南部鉄器ですぜ!

どうやら、職人技で作る釜らしいです。(笑)


しかも、炊き上がりは昔ながらの釜の味を再現できるとか、何とかかんとか・・・

どうやら、一流料理店の協力を仰いで、製作された物のようですね。

まあ、日本の米なら、これほどまでに気を使うのも無理はありません。


家電製品の多機能化は、日本のお家芸だと感心します。

用が足りさえすれば良いのに、それに付加価値までを付けてしまう・・・

昔で言う豊かさのシンボルから、機能追求の時代になっていきましたね。

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最近普及してきたオーブンレンジですが、細かな焼け方などお構いなしです。(笑)

タイマーさえ付いていれば、それで良いのです。

遠赤外線???

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これなんか、石窯ですぜ!

『生焼けぢゃなければいいぢゃん』、と、まあこちらではこういう事なのでしょう。

物事をあまり深く考えないこの国らしく、極めて単純で良いですなあ・・・

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いや、この扇風機だけはどうにかして下さいよ。

暑い国だけあってパワフル設計だから、弱にしても風がぶんぶんきます。

日本のように、微風がありません。


エアコンが無かった昔は、寝ていてこれでよく風邪を引きました。

こればかりは、日本製が良いですね。

タイマーも付いていますし、首も上下左右振るので風が常時身体に当たることが少ないです。

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リモコン付きが、また嬉しい・・・

これなら、遠くから操作ができるので、いちいち起きだして調節をする必要はなくなります。

で、この微風ですが、こちらで100Vへの変圧器を通して扇風機を使うと、微風が生まれますよ。


これなら、風邪は引きませんね。

但し、昼間に使う時は、変圧器から差し替えなければならないのが厄介ですな。

そうなると、やはり日本から電気製品を持ち込むのが一番手っ取り早いでしょう。


もしそうなった場合ですが、必ず変圧器の他に電圧安定器(AVR)を付けましょうね。

こちらの電圧は230Vです、

220Vかと思ってましたが、メラルコのHPにそう書いてありましたから、多分そうなのでしょう。


が、しかし、これが相当に不安定です。

家を変わるたびにテスターで測ってみると、地域毎で違うのですな。

今までで、最低が190Vでした。


最高は240Vでしたが、その差何と50Vですよ。

最近では、少しは改善されたという話しは聞きますが、このお陰で電化製品はよく壊れます。

特に、日本の製品は多機能なので、繊細な作りの制御機能が真っ先にやられてしまいますね。


http://www.devicenet.co.jp/store/shop/mobile/item/dtl/svc-1500nd-2.html

こういう商品もあるようなので、参考にしてみてください。

ともあれ、この国では単純な作りの電化製品の方が長持ちします。


デジタル何かよりは、アナログの方が安定して使えると言う訳ですな。

この国では、『シンプル・イズ・ベスト』こそが持ち味なのでしょう。

いやあ、私の頭もアナログで良かった!(爆沈)


押しても駄目なら引いてみよう!(爆)
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フィリピン移住を考える・・・その⑬ 『ビサ』  [移住]

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ビサの種類や取得方法については、色々な情報も溢れていますし、ここでは触れずに置きます。

ちなみに私のビサは永住です。

まあ、嫁若しくは旦那がフィリピン人であれば、条件が揃えば誰でも貰えます。


但し、最初の1年間は仮永住で、1年後に本永住の申請をする形を取りますが、業者などに頼むと、

料金はそれなりに掛かりますね。

時間と暇がお有りになる方は、ご自分で申請されるのが良いでしょう。


リタイアメントビサなど一部の方を除いて、移住されてこられる方の殆どが配偶者がフィリピン人だと

思われます。

勿論、配偶者がフィリピン人でもリタイアメントビサは取得できますよ。


但し、リタイアメントビサ保持者が仕事をする時は、別に労働省からの労働許可が必要になります。

これが、結構厄介なんですわ。

1年毎の更新ですし、少し時間が掛かります。


会社がやってくれる所は良いのですが、自分でやるのは少し面倒くさいですね。

その点、永住ビサは労働許可が要りません。

何処でも何時でも、働くことが出来ます。


問題点を云えば、配偶者と別れると永住ビサが取り消されることです。

まあ、奥さんや旦那さんとは、出来るだけ仲良くやりましょう。(笑)

さて、前回もお話した上記の写真の外国人登録証ですが、最近では注意が必要です。


最初は記載されていなかった有効期限が、5年に変更になったと云いましたが、日本など国外に

出掛けてしまった間に期限切れが生じると、どのようなビサであれ取り消されます。

これは、日本でも同じですね。


フィリピンだから何とかなるというのは、最近ではあまり通用しなくなってきました。

まあしかし、未だに大部分は何とでもなりますがね。(苦笑)

在外フィリピン公館でも、この更新手続きは出来ません。


フィリピン国外から出る場合は、外国人登録証の有効期間に注意しましょうね。

移住されてこられる方は、前もってビサの種類や取得方法を確認してからお越し下さい。

全てをご自分の頭に置いておかないと、配偶者任せでは後で後悔しかねません。


数年前のお話です。

私が勤めてた会社が、永住ビサ保持者の日本人を募集したことがあります。

その時は私が担当となり、多くの電話やメールを受け取りました。


『もしもし、募集をみて電話したんでおますが、まだ大丈夫でっかあ?』

『はいど~ぞ、まだ間に合いますよ、ところでビサはどのようなものをお持ちですか?』

『えっ、ビサが要るんでっか?、実は私オーバースティでビサがありまへんねん。』


電話の主は、あっけらかんと仰います。

『あの~う、ビサがないと働けないのですが・・・』

『ええ、そうなんですか?、私の友達も、ビサなしで沢山働いていますよ。』


『・・・・・・・・・・・・・・・』

『で、仕事は簡単なんでっか・・・?、私身体が弱いもんですさかい肉体労働はあきまへんねん、

で、給料はお幾らでっか?、ええっ◯◯ペソだけ?、まあごっつう安っいでんなあ・・・』


『実は私ねえ、嫁さんに逃げられて今お金がないんですわ、最低でも10万ペソは貰わんと生活も

でけへんのですわ、何とかなりまへんか?、ビサなんか要らんでっしゃろ、ねえあんさん、歳は60

ですがわてはまだまだ働けまんがな、兎に角何とかしておくれやっしゃー』


相手は、もう言いたい放題です。

『ビサを取得してから、再度ご連絡下さい・・・』

私は、そう言って電話を切りましたが、何とこの手の類の電話があと数件はありました。


無計画ほど、恐ろしいものはありません。

自業自得とも云えますが、この国では『一寸先は真っ暗闇』です。

他山の石として、自分を戒めたいですね。


飲まなきゃな やってらんねえ時も有るんだよ!
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フィリピン移住を考える・・・その⑫ 『誕生日』 [移住]

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この国で誕生日を迎えた時、お金がないのは不幸です。(笑)

移住後の予備予算には、医療費の他にこれも付け加えて置きましょう。

御存知の通り、フィリピンでは誕生日を迎えた人間が、自ら出費をしてこれを祝います。


この金額は、馬鹿には出来ません。

社交的な人であればあるほど人付き合いが増えるので、出費もそれに応じて膨らみますね。

では、どれくらいの予算を見ておけば良いのでしょう?


誕生日は、自分の分の出費だけで済むわけではありません。

奥さんやお子さんの誕生日にも、それなりの付き合いに応じて必要になります。

先ずは、子供の場合です。

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こういう会場を借りて行う場合、料理の内容にも依りますが、来客30人くらいと考えて約2~3万

ペソでしょう。

一人頭800~1000ペソと高く付きます。


ピエロの格好をした、クラウンと呼ばれる道化師や司会者も付くのが普通ですね。

因みに、我が家のお嬢様の場合、このような予算は御座いません。(涙)

ジョリビーやマクドナルドで行います。


学校のクラスメートや近所のガキ、いや近所にお住まいのお子様達30人くらいを招待したとして

、1万ペソも見ておけばそれで足りますね。

この場合も司会者が付きますし、ゲームもやってくれます。


しかし、これは昼の部であり夜の部はまた別です。

夜は大人の部ですなあ・・・(苦笑)

やはり近所の人や友だち連中を、呼ばねばなりません。


人数はそれほどでないにしろ、結構な出費は続きますわ。

こう考えると、子供の誕生日は昼の部が入る分出費は嵩みますな。

でもまだ、子供が小さい頃は良いでしょう。


DEBUT(デブー)と呼ばれる、女18歳男21歳の祝い事では、大人の人生にデビューするという

意味で、パーティは大々的に行わなければなりません。

これには、相当な費用を見ておいた方が良いでしょう。


繰り返しますが、これはあくまでも社交性のある家庭の場合です。

誰とも付き合いたくなく、コンドミニアムで引き篭もる人には一切縁がありません。

積極的に、フィリピンと交わろうとする人のみお考え下さいね。


数年前ですが、バクラーランの友達から娘のデブーのパーティに来てくれと招待状を貰いました。

場所は、ヘリテイジホテル・・・

会場は150人くらいの人で、歌あり踊りあり豪勢な料理ありの大パーティでした。

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あとで聞くと、使った金額は約50万ペソとのことでしたが、金を掛ける人は掛けるのですねえ・・・

さて、本人の誕生日はどうでしょう?

この辺に住む住人の多くは、自宅で自分の誕生日会を行います。


先ず家には入りきら無いので、野外でやる人が多いですね。

しかも、殆どが夜通しです。

中には外にカラオケを設置し、明け方まで歌い込む家庭もありますね。


まあ、これは我々にとっては拷問ですわ。

実は、昨夜から今朝にかけてうちの隣の家の子供の誕生日会でした。

子供の誕生日会を夜に行うのもどうかしていますが、兎に角全然寝られませんでした。


誕生日と言うと何もかも許されると思うのか、隣近所に遠慮などはありません。

普段から只でさえ眠らない街なのに、ただ酒をかっくらいに人々が押し寄せて来るのです。

この国の特徴なのですが、招待していない人が、勝手にパーティに来るのは珍しくありません。


知らない人が来ても、だれも不思議に思わないのが通常です。

で、物やお金もなくなるのが、このパーティとも云えます。

家の中でパーティをやる場合は、必ず貴重品は寝室などに入れて鍵をかけて置きましょう。


上記のような理由で、知らない人まで来る可能性があるので、火事場泥棒ならぬ誕生日泥棒が

訪れるのを防ぐためです。

フィリピン人と親しくなると、必ずといって良いほど誕生日を聞かれます。


うっかりと答えると、あとが大変ですな。

パーティをどこでやるのかとか、色々聞かれますよ。

特に、日本人の誕生日は盛大さを期待されるでしょう。


一度パーティに招けば、次の年から毎回呼ばねばなりません。

又、先方もしっかりと日にちを覚えています。

予防策ですが、誕生日は絶対に教えないことですね。


万が一知られた場合は、家族でリゾートで祝うからと言って逃げましょう。

近場は駄目ですぞ。

付いてくる恐れがあります。(笑)


片道3時間以上、泊まり込みが良いですな。

それが出来ないなら、散財は間違いなし・・・

あっ、でもそうなるとリゾートに行くのも同じ出費だわ・・・(爆)


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フィリピン移住を考える・・・その⑪ 『この国で生き抜く覚悟!』 [移住]

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写真と本文は、関係がありません。(笑)

パラワンのアンダーグラウンドですが、死ぬまでに一度は訪れたい場所ではあります。

さて、大袈裟なタイトルを付けましたが、今朝のまにら新聞にこういう記事がありました。


【比人女性に暴力振るった米国人拘束 比入国管理局はこのほど、同居相手の比人女性に暴力を
振るったなどとして米国人男性(64)の身柄をカビテ州ロサリオ町で拘束した。 同局のダビド局長は
「比人女性を虐待したら、どのような結末が待っているのか。 拘束は外国人男性に対する警告にな
る」と話している。】


詳細は分かりませんが、少し一方的に、外国人が悪者扱いされているような気がします。

この国で暮らすにあたって、我々のような外国人に対し、不条理に感じるようなことは枚挙に暇が

ありません。


この国の対外国人における司法制度は、あくまでも自国民の保護を中心に出来上がっています。

我々は、ここを理解せねばなりませんね。

外国人雇用主に対する、労働争議がいい例です。


この国の人々を雇用している人は、良くお分かりかと思われますが、雇用の不満を労働省に訴え

る人間が、かなりの確率で多いということです。

このことに何も関心がなく対策を練っていなかった雇用主は、これ又かなりの確率で敗訴します。


別に、ビジネスをしている人に限ったことではありません。

冥土さんを雇っている人にも、同じ事は云えますね。

お金を貸さなかった逆恨みで、雇用主を、セクハラやレイプ罪をでっち上げ告訴した例もあります。


『逆恨み』と言いましたが、訴えの多くはこれがほとんどの動機です。

この国は、他国に支配された経験は多くても、他国を支配をした経験はありません。

従って、自分は搾取される者という被害者意識が強く、又保護されるべき者という意識も強いです。


つまり、『自分はいつも雇用主に虐げられているのに保護すらもしない』とでも言う、階級社会特有

の、一種の僻み根性が文化に根付いてしまったのが原因でしょう。

このことは、同国人に対しても、『クラブメンタリティ』などという副作用をもたらしました。


少し、話が逸れたようです。

どうであれ、この国で暮らすのであれば、こういう不条理に対してどう向き合うのかが焦点でしょう。

不条理を不条理として自分の意見に固執して裁判沙汰になれば、先ずは敗訴がおちです。


フィリピン在住16年目に入りましたが、色々な邦人の裁判沙汰の話を聞くにつけ、外国人が勝訴と

聞いたのはほんの僅かですよ。

その僅かな例でも、前もって相当な準備や対策を練っていた人に限られています。


では、どういう心構えでこの国で生きていけば良いのでしょうか?

相手のすべてを言いなりで受け入れていては、お金も心も持ちませんね。

しかし、私達が言う不条理はいつでも起こり得るのです。


日本の常識が一切通用しないこの国では、外国人である我々は、自分の手で自分の身を守らな

ければなりますまい。

先ずは、相手のこういう歴史や文化を理解しなければ、これらの心構えも出来ないでしょう。


知ってて起こった不条理であるのなら、ある程度冷静に処理できますし、相当な準備や、日頃の

言動にも注意をはらうことが可能ですね。

何度も申し上げますが我々が言う『不条理』とは、この国ではほぼ日常的に根付いた感情です。


例え自分の嫁であれ子供であれ、我々が外国人である以上、比国籍の人間の方が、この国では

強いのだということを認識しなければなりません。

『不条理を不条理とも思わず上手く付き合う』、今の私にはこれしか道が無いようです。


ここはヒリピン・・日本じゃないんだねぇ・・爆
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フィリピン移住を考える・・・その⑩ 『運転手さんを雇う・・・』 [移住]

03232012388.jpg

先日乗った、タクシーの運転手さんです。

15年間もフィリピンに住んでいて、初めて見た女性の運転手さんでした。

でも、その運転ぶりですが、この国特有の強引な割り込みも、難なくこなしていましたね。(笑)

猫運転手.jpg

個人的には、こういう運転手さんもええですなあ・・・

夜目が利くから、暗がりでも大丈夫でしょう。

とろちゃんに、ぴったりでんなこりゃあ!(爆)


冗談はさて置き、運転手さんには、自分の命や家族の命を託す結果になります。

それだけの信頼が、必要になりますね。

運転手としての、資質が問われます。


①秘密が守れること。

②運転技術が優れていること。

③時間を守れること。


この3つは、最低でも必要でしょう。

特に、①の秘密が守れることは、最重要課題ですね。

奥さんとかに黙って夜の行動をされる場合は、運転手が口が固くないといけません。


私が以前勤めていた会社の上司の専属運転手は、これがもう大変なお喋り好きでした。

昼食時に会社の食堂で良く話をしていましたが、上司の夜の行動を逐一知らせて呉れるのです。

勿論、頼んだ訳ではありませんよ。


向こうは、単なる世間話のつもりでしょう。

ある事ない事、全て喋ってしまいます。

そしてとうとう、愛人を囲っている話まで聞いてしまいました。


流石に、それを聞いた時は運転手さんを窘めましたが、言われた方はキョトンとしていましたね。

全く、罪の意識など皆無です。

仕方がないから、会社の就業規則をみせ、守秘義務について教えてあげました。


そこでようやく気付いた彼は、これからもう2度としないから、上司にだけは報告するのを止めてくれ

と泣きついて来ました。

何も知らない上司こそいい面の皮でしたが、こういうことは実際に多々あり得ることです。


プライベートの時間だからと調子に乗って、残業する運転手に、おべっかの意味で何もかも話をする

日本人が多過ぎますよ。

正に、天に唾する行為ですな。


やむを得ず、秘密の行動をしたいのなら、タクシーを使うか自分で運転するしか無いでしょう。

但し、飲酒運転は絶対にいけませんが・・・

ともあれ、どうせ運転手さんを雇うなら、せめて下の写真くらいの女性を雇いましょうや!(爆)

女運転手.jpg


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