バクラーランの思い出 [雑記帳]
たかがバクラーラン、されどバクラーラン!(笑)
しかし、我ながらここが好きなんですよねえ・・・
ここは、マジで香ばしいエリアですぜ。
出たり入ったりはしていますが、それでも18年間の在比生活中、ここは12年以上の滞在にはなります。
まあ、それだけに、この危険エリアと呼ばれる地域の中で、数え切れない程の経験をして来ました。
住んでいた場所の近所だけでも、殺人、誘拐、レイプ、泥棒、スリ、強盗の事件はザラですわ。
中でも、一番衝撃的だったのは、2000年4月の聖週間に起きた、宝石店襲撃事件ですね。
小さなビルの一階に、テナントとして入っていた宝石店が、強盗団に襲われました。
この際、警備員を一人撃ち殺し、犯人軍団あろうことか、手榴弾を無作為に3発投げ込み逃走したのです。
幾ら逃げ道を作るためとはいえ、これで一般市民を含む、多数の死傷者が出ました。
当時私が住んでいた通りに病院が有ったのですが、そこへ運ばれる怪我人の数が、凄まじかったですわ。
犯人軍団は、8人中4人まで、私の友人でも有る地元ののポリス達がその後捕まえました。
現場にも駆けつけて見ましたが、そこはもう血の海でパニックでしたね。
とても悲惨すぎて、ここでは書けません。
あの時の犯人は、いまでも憎いです。
総勢8人が死亡、30人以上が重軽傷を負いましたから、無差別、大量殺人と言ってよいでしょう。
当時、大きなニュースとして、TV新聞を賑わせたのは、言うまでも有りません。
そういう意味では、バクラーランは、比国人にとっても、物騒だというレッテルを貼られる出来事でした。
とても危険な所では有りますが、人情味は有りますよ。
そこは下町ですから、面倒見の良い人が集まっています。
貧乏人は、皆助けあって生きると言うのか、私も随分とここの住人には助けて貰いました。
当時の私は、可哀想な困窮邦人と見られていた(今でもそうですが)ので、こいつは助けてやらないとい
けないやと、思われていたのでしょう。
当時は、路上で毎晩宴会でした。
酒もつまみも各々持ち寄りですが、金のない人は参加するだけです。(笑)
金の有る人だけが、持ち寄れば良いのですな。
しかも、この国での路上宴会は、皆、上半身裸と相場が決まっています。(爆)
まあ、裸がユニホームのようなもんですよ。
ですが、私だけは免除にさせて貰っていました。
それは何故か?
そーなんです。
飲んでいると、蚊がわんさか寄ってくるんですわ・・・(涙)
それも、私にだけ・・・
現地の人は刺されないのに、私だけが刺されるんですが、飲み仲間がその理由を教えてくれました。
『お前の血はインポートだから、蚊は、皆お前のことが好きなんだよ・・・』
『酒も血も、ローカル産よりはインポートの方が美味い!』
その時は、変に納得したおいらです。
しかし、最近は、蚊に中々刺されなくなりましたね。
先日なんか、町の食堂で、会社の現地スタッフ達と食事をしましたが、私だけ刺されませんでした。
長く住んでいるので、血液がピノイ化して来ているのでしょうか・・・?
あっ、分かったぞ!
P型脳炎が、悪化してるだけなんだ!(爆)